三陸海岸大津波

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長らくご無沙汰してます。

東日本の震災以来も、もちろん本は読んでいるけれど、心に響くことが少なくなった気がします。
事実は小説より奇なりとか。 生半なフィクションは圧倒的な事実の前に色褪せてしまうようです。

やはり事実の重みということで、ノンフィクションの達人、故・吉村昭氏の本書がよく読まれているというのも肯けるところです。

三陸海岸をたびたび襲った津波の中で、明治29年、昭和8年、そして昭和35年のチリ地震による津波を本書では取り上げています。

中でも明治29年のものは今回の大津波に匹敵するようで、被害の大きさと被災地だけでなく全国の人々に与えた衝撃の大きさは、掲載されている『風俗画報 大海嘯被害録』の挿絵からもうかがい知ることが出来ます。この『画報』がどのように作られたかも興味のあるところですが、残念ながらその経緯は書かれていません。

本書の執筆、出版は昭和40年代なので、明治29年の津波を経験した人も少数ながら生存しておられ、貴重な証言を寄せておられます。 前兆、被害、救援の様子には今回の津波と共通するところも多いように感じました。
現在のニュースで被災地として聞いた地名も何度も登場し、厳しい自然と向き合って生きてこられた人々の生活が思いやられます。

これらの過去の大津波と比べても、今回の津波の規模、被害は格段に大きかったようです。
津波は時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。 しかし、今の人たちはいろいろな方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う。」という土地の古老の言葉は、前半は全くその通りですが、後半は残念ながらはずれてしまったようです。 
けれど、それを油断とは言えないでしょう。 自然の力は人間の予想を遙かに上回るものだったのです。
人間はもっと謙虚に自然と向き合い、さらなる知恵を絞る必要があるでしょう。

本書でも取り上げられている波高の問題が、私は気になりました。
測定の方法として、験潮儀によるもの、残留物によるもの、侵入した土地の高さを海面と比較するものの3つが上げられているが、それぞれに不備があり、正確な波高をつかむことは至難、とされています。

特に3つめの方法では津波の高さは大変な数字になると書いてありますが、この場合は波高と言うより津波到達地点と言うべきでしょう。 波高xxメートルというと海面からぬっとxxメートル持ち上がった波がそのまま陸地に到達するイメージです。 実際には勢いよく斜面を駆け上がって海抜xxメートルに達することもあるのでしょう。 そこの所を区別してきちんと表現しないと、記憶が薄れるにつれて、そんな高い波があるはず無い、恐怖心から大げさに言ったのではなどと、(昔の記録に対してしがちなように)過小評価、油断をする原因ともなりそうです。

過去の記憶、犠牲を無駄にしないためにも、まだまだ考えること、することがありそうです。



三陸海岸津波」    吉村昭 著(文春文庫)