ブート・バザールの少年探偵

最初に断っておきますが、本書は題名から想像する推理物ではありません。

一応そういう体裁になっているし、インドのスラムに住む主人公の少年とその友人は、探偵活動を繰り広げるのですが、子どもならではの視点で真相に迫ったり、偶然に導かれて鮮やかに事件を解決するという事は起こりません。

 

著者ディーパ・アーナパーラはジャーナリストとして、インドでの貧困と宗教紛争が子どもの教育に及ぼす影響について報じてきた人だそうです。

著者のあとがきで、そのような記事で当事者の子どもたちのユーモア、皮肉、エネルギーまで伝えきれなかったこと、インドで頻発する子どもの失踪事件での被害者の背景を掘り下げたいという思いがこの小説執筆の動機であると述べています。

そのような著者の意図は、小説の中にしっかり生かされていると感じます。スモッグが垂れ込めるインド大都市のスラム、その中の住居やバザールの騒音と匂い、あまり心地よくない肌触りのようなものさえ感じます。 そこに生きる、明るくお調子者でちょっと生意気な9歳の少年ジャイと、それぞれ違った個性を持つ友人たち。 大人たちも様々だけれど、みんながいい人とは言えない。 宗教やジェンダーによる差別もあり、それが生きづらさを増していることに気づかず、目先の憂さ晴らしに走っている。

そんな日常の中クラスメートが行方不明になり、刑事ドラマが大好きなジャイは友人たちと探偵きどりでバザールや駅での聞き込みを始めるのですが、何の成果もないまま失踪事件はさらに増えていきます。

 

インドでは毎日180人もの子どもが行方不明になっているという事実がこの物語の背景にあります。 それは人身売買や臓器売買とつながっているようで、作中での警察の無能ぶりとともに俄かに信じがたい気がしますが、まず無知と無関心を自覚しなければいけないのかもしれません。

このような問題に直面すると、何とかならないか、何かできないかという焦りを感じ、著者があとがきで紹介している慈善団体を調べてみようかとさえ思いますが、貧困と格差の問題は日本にも存在します。 まず、どんな問題があるのか、見つめなおしてみることが必要でしょう。

 

訳者あとがきによると原文ではインドの言葉(ヒンディー語)が多用され、アメリカ版では巻末に用語集がつけられたそうです。 現地の雰囲気、子供の躍動感を伝えたいという意図だそうです。 日本語訳ではルビで読みが示されていて、『インドの言葉を推測しながら読む楽しみを奪ってしまった…』とありますが、実は最初の方ではカタカナ語で地の文に入っているところがあってちょっとわかり難かったので、ルビがなかったらかなり読みづらかったと思います。 ルビが入るのも最初は煩雑に感じましたが、こちらは慣れて雰囲気が伝わってくるようになりました。 

 

「ブート・バザールの少年探偵」  ディーパ・アーナパーラ 著

                 坂本 あおい 訳  (早川書房