戦時児童文学論 小川未明、浜田広介、坪田穣治に沿って

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とべたら本こ」の作者山中恒さんは、ユーモラスな子ども読み物を書く一方で、戦時下の児童文化についての著作を意欲的に発表しておられます。
主著「ボクラ少国民」シリーズはまだ読めていないけれど、戦中の児童文学についてまとめた本著が昨年出版されたので、読んでみました。

全体の3分の1、全8章のうち5章を使って明治以降の近代児童文学の歩みと、第2次大戦までの道筋、児童文学が戦時体制に組み込まれていく経過を示しています。 近代史の本としても十分読み応えがあります。 
「それでも日本人は『戦争』を選んだ」で「陸パン」と紹介されている「国防の本義と其強化の提唱」についても、発行元が陸軍省新聞斑であることや流布の経緯などは、こちらの方が詳しいくらいです。
前半3分の1を読んでいて感じるのは、戦後生まれの私たちは、第2次大戦後日本は生まれ変わって軍国主義から平和主義・民主主義の国になったと教えられてきましたが、根底のところはあまり変わっていないのでは?ということです。
例えば旧厚生省は1938(昭和13)年、日華事変中に「国民体力の向上を期し人的資源の拡充に当たることを目的」として設立されたもので、臣民の福祉を考える省庁ではなく、健兵対策実施機関として戦争上必要な省庁だったということです。 厚生省のそういう体質が戦後も厚生労働省になっても受け継がれてきたと考えると、薬害や年金でいろいろ問題を起こしているのも、戦中の国民をないがしろにする役人体質をそのまま引き継いでいるのでは?と思えます。 そもそも年金というのも元々は戦費調達のために炭鉱労働者などを対象に始められた物という記事を読んだことがあります。 だとすると二重に戦争のための制度ということで、国民のためなんか考えていないというのが妙に納得出来てしまいます。
本著では触れていませんが、米価やそれと関係深い食管法も戦中の制度が戦後も引きずられていたもので、国民生活の身近なところにも戦争の影響はまだまだ残っている感がします。

また、「はじめに」に書かれているように、戦後になって戦中の生活が事実とは違うように語られていることが多いのも知りました。
その例としては、第6章や「おわりに」に書かれている、動物園の猛獣処分のことがあります。
他にもいろいろあるのでしょうが、それらは「ボクラ少国民」シリーズを読んでみなければならないでしょう。

後半3分の2は、副題にあるように小川未明浜田広介、坪田穣治の作品を各1章ずつ当てて具体例を上げ、論評しています。
小川未明について述べた第6章だけで全体の3分の1を占めるのは、童話作家としての未明の存在の大きさを示すと共に、この章で複数の児童文化団体が国体原理主義の下に統合されて日本少国民文化協会が設立される経緯が述べられているからです。
第6章の始めに小川未明の童話「野薔薇」が上げられています。 戦後の教科書でも取り上げられていて知っている人も多いでしょう。 大国と小国の国境を守る老若二人の兵士の交流と別離を描いた悲しく美しい反戦的な作品です。 本章の始めにこの作品を示したのは、こんな素晴らしい作品を書いた未明がどうして戦争協力の作を多数書き散らしたのか?という著者の悔しさの表れでしょう。
本著を読んで初めて知ったのですが、若き日の未明はアナキズムに惹かれ、大杉栄堺利彦らと共に日本社会主義同盟の発起人となり、日本左翼文芸家総連合や新興童話作家連盟に加わっているということです。
そんな未明がなぜ戦争協力の作品を書いたのか? その疑問は著者も繰り返し述べています。 歳を取って保身に走っただけとも思えません。 若き日の資本主義の矛盾への怒りと、国体原理主義による社会改革の思想に共鳴するものがあったのでしょうか? 

他の二人の作家についても、なぜ戦争協力的な作品を書いたか、軍国日本の正義を単純に信じ込んでしまったかという疑問は解けません。 
本著を読んで「戦争責任」とは何か?という疑問が深まった気がします。 大佛次郎鞍馬天狗とは何者か」にも言えたことですが、国民の一人として純真に国家を信じた者にどれだけの責任があるのか?(それでも、特に影響力の大きい作家などは責任はあると思いますが。) 誰が誰をだましていたのか? 誰が本当のことを知っていたのか?

その答えは簡単に出そうにない。
けれど、後々考え続けていくために、事実は事実として残しておかなければいけない。 都合の悪いことを無かったこととして闇に葬ってはいけない。 それが著者の姿勢なのでしょう。
第6章で著者は未明の作品と関連して、自身が敗戦間際に農家への宿泊勤労動員にかり出された時、動員先の農家の主人が悪辣な闇取引をしたり、姑が都会から食糧を求めてきた人たちから交換の品をただ同然に取り上げる現場を見て義憤に駆られた体験を述べています。 これは「とべたら本こ」のエピソードそのままで、軍国少年として身勝手な大人に腹が立ったが、敗戦によってその純粋な気持ちも裏切られた、というのが著者の原点なのだなと思いました。

山中さんは児童読み物作家と称して、児童文学者という言葉は使わない。
それは幼少年期に読んだえらい作家達の教訓じみた作品の思想が、敗戦によってひっくり返った事への不信感から来ているのでしょう。
山中作の子ども読み物はふざけて、おちゃらけているようにも見えるけれど、主人公の子ども達は自分で判断し行動していきます。
今、東日本の震災や原発事故で日本は戦中、敗戦に近い危機にあるといえます。 
そんな時、声の大きい人、威張る人、みんなが行く方に従うのではなく、山中作品の子ども達のように、自分で考え判断して行動することが必要ではないでしょうか?


「戦時児童文学論 小川未明浜田広介、坪田穣治に沿って」  山中恒著(大月書店)