うらなり

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ご存じ「坊ちゃん」のバリエーション。
題名からお分かりのように、あの「うらなり君」、英語の古賀先生が主人公。 彼の目から見た「坊ちゃん」の事件と、その後のお話しです。

時はあれから30年後、昭和9年の東京銀座。 「うらなり」こと古賀先生と、「山嵐」堀田先生が再会するところから始まります。
この時代設定が絶妙というか微妙というか。
「坊ちゃん」というと遠い明治の話と思っていたのが、昭和とこんなに近かったんだという意外さに打たれました。

二人の思い出話と古賀先生の回想で話は進むのですが、彼は坊ちゃんの本名を覚えていない(実は原作に出てこないのですが)。 そして何より、彼がどうして自分に同情して「赤シャツ」教頭達を敵に回したのか理解出来ない。
これを読むと、原作での清の存在の大きさを改めて感じます。
私たち読者は、清の視点で、坊ちゃんは竹を割ったようなまっすぐな気性という前提で彼に肩入れするのです。 けれど、清の存在やその視点、坊ちゃんとの関係を知らないうらなり君には、坊ちゃんの行動も考え方も、全く理解出来ないのです。

原作には、坊ちゃんがうらなり君のお母さんを見て清を思いだし、親しみを感じる場面がありますが、同じように老女との関係が深い者同士、うらなり君にも無意識の親近感を覚えたのかも知れません。 それなら、逆にうらなり君も坊ちゃんに親しみを覚えても良さそうなものですが、そうはいかないのが人間の難しさ。 当時彼はマドンナや自分の家のことで、気持ちにゆとりがなかったのかも知れません。 事実、職員会議で坊ちゃんがマドンナを引き合いに赤シャツを皮肉ったことが、どれほど深くうらなり君を傷つけたかが述べられています。 このことが坊ちゃんに対するする心証を大いに悪くしたんでしょうね。

しかし、坊ちゃんと知り合ってうらなり君には良くないことばかりだったのか? そうでもないのでは?と思います。
名前を思い出せない坊ちゃんを「五分刈り」と呼ぶのを始め、坊ちゃんに習って人にあだ名を付けたりしている。 坊ちゃんの影響で、ちょっぴりユーモアというか、ゆとりが身に付いたんじゃないでしょうか(坊ちゃんも、すぐカッとなったり、ゆとりがある人とは言い難いですが、)。
同じことは「山嵐」堀田先生にも言えそうです。
彼は去る前に赤シャツ達に制裁を加えたが、坊ちゃんが卵をぶつけたために「黄色い喜劇(コメヂー)」になってしまったと嘆いてみせる。 でも、それは堀田氏にはむしろ救いになったのでは?
「人生は主観的に見る者には悲劇であるが、客観的に見る者には喜劇である」というのは哲学者ショーペンハウエルの言葉だったと思いますが、まさにそういうことでは?
堀田先生が古賀先生を庇って、赤シャツや校長と争って学校を追われたことは悲劇に他ならないけれど、坊ちゃんとの武勇伝を思い出すことで、悲壮にならず苦笑いして客観的に見ることが出来たのではと思います。

その後もいろいろあったけれど、それなりの成功と幸せを得て東京で再会した二人。
ここで、もしや坊ちゃんも姿を見せるのでは? と期待するのですが、堀田氏は「彼は関東大震災で死んだのでは?」という意味のことを言います。 そんな悲しいこと…、と思ったのですが、ここで思い当たるのは、昭和9年という時代設定。 既に国際関係はきな臭くなり、それから10年あまりの間に日本は過酷な歴史をたどります。 作者は彼らにその酷い時代を経験させたくなかったのかも知れません。 古賀先生も肝臓を傷めて、そう長く持たないことが仄めかされています。
堀田氏が「他人のために一肌脱ぐ、本当の江戸っ子なんていやしない。 少なくとも震災からこちらは。」という意味のことを言ってますが、それは裏を返せば、「(震災で死んだはずの)坊ちゃんこそ、自分の得にもならないことで他人のために一肌脱ぐ、本当の江戸っ子だった」と言いたいのかも知れません。

後書きで作者は、「これは『坊ちゃん』のパロディーではなくオマージュ」と書いていますが、そのあたりの意味もあるのかも知れません。

「うらなり」  小林信彦作(文芸春秋