食べ方上手だった日本人

本は買わずに借りるという私は、他の所でもかなりケチ。 だから1ヶ月の食費9000円という節約生活の権威、魚柄仁之助さんは密かに尊敬していて、彼の本もわりと読んでいます。
でも、それは実用書の扱いで、今までここで取り上げることはありませんでした。

本書は、実用というより研究的エッセーとでもいうか、「よみがえる昭和モダンの知恵」の副題のように、昭和10年頃の食文化を膨大な資料を基に論じた物。

当時の婦人雑誌やカタログなどから収録した、食品・道具類・調理法の写真やイラストが豊富で楽しい。
中には、あ、これ見たことある!という物も(それほどの年齢じゃありませんよ、言っとくけど)。
著者の所蔵品が混じっているのもご愛敬。 小振りの長火鉢は羨ましい。 貧乏長火鉢などと名付けてるけど、これ実際買ったらかなりしますよ。 それに現代人には使いこなすの難しいでしょうね。 魚柄のおいちゃんなればこそ。

でも、著者は単なるノスタルジーでこれを書いたのではありません。
世界的な食糧危機の中、食糧自給率40%という日本の現状を何とかするためにも、自給率が80%以上と高かった時代を振り返ってみようという視点もあります。

そんなの人口が少なかっただけでは?と思うかも知れませんが、人口が増えれば生産性も上がるはずでは?
著者が指摘しているのは、工夫して食材を加工・貯蔵して食べ尽くすこと、いろんな食品を手作りしていること、肉類などは1食の量が少なく全体として消費量が少なく済んでいることなどです。
動物性蛋白はうまみの素として少量摂取するに止め、穀類・野菜を中心とする「昭和10年のレシピなら現在の国産で手に入る食料だけでも、自給可能ではないかと思えるのです。」という、著者の主張には頷けるものがあります。

昔の食事なんてまずそう、食べられたモンじゃないと思いますか? でも著者が「はじめに」や本文で述べているように、昭和10年前後のレシピは結構ハイカラでモダン。 前の記事で取り上げた、うらなり君と山嵐先生が銀座で食べたのもこういう料理だったかも知れない。
この時期、家庭料理が急速に進歩したのは、関東大震災で壊滅的な被害を受けた後、首都圏では都市ガスが普及して調理が簡単で楽しめる物になったから、という著者の意見は納得出来ます。

けれど、その後の戦争によって食糧事情はどんどん悪くなり、料理も国民だましのお粗末な国策料理となっていく。 やがて敗戦でどん底に…現代人が昔の食事というと連想するのはこの時代の物なんですね。

その後次第に改善して、昭和10年代のレベルまで戻ったのが昭和30年代では?という指摘には、腑に落ちる物がありました。
以前取り上げた「ノンちゃん雲に乗る」で、戦前の話を戦後のものと誤解していたのは、その暮らしぶりが似通っているから。 間の戦争の印象が希薄で、ちょうど紙を折りたたんだ中に封じ込められたように感じることもあって、「ノンちゃん」の世界はそのまま戦後に滑り移ってきたように感じられたのでした。

そんな風にあれこれ想像を拡げさせるのも、食という身近な世界だから。
調理や加工・保存のテクニックも今すぐ真似出来そうな物がいろいろで、なかなか楽しい本でした。
おいちゃん、これからも頑張って下さい。


「食べ方上手だった日本人 よみがえる昭和モダンの知恵」  魚柄仁之助著(岩波書店