ノラや

猫好きなら1度読んでおきたい内田百閒先生の猫随筆。

 

家に入り込んできた野良猫の子をそのまんまノラと名付けてかわいがっていたが、1年半ほどたった春のある日、出かけたきり帰らなくなる。

飼うようになった経緯も、いなくなることも昭和の昔なら普通にあったことでしょう。

でも、その後の百閒先生の嘆き方、執心ぶりがすごい。 毎日泣き暮らし、警察に頼み、新聞広告・折込チラシも英文まで作って何度も配布する。 ラジオに出演したときは放送でも猫探しを頼んでいる。 それでいて不思議なのはご自身で探した形跡がないこと。 方々から似た猫の知らせがあっても、奥さんや手伝いの人を見に行かせて、自分で出向いたことはない。 そこのところよく解らないのですが。

明治から昭和の男の人ってこうだったんでしょうか。

 

ノラちゃんはどこへ行ったのか?

私が気になるのは失踪3週間ほどの4月21日に連絡があった猫。 手伝いの女性や出入りの氷屋さんが見に行って間違いないと言っているのに、連れに行った奥さんは「違う」と言って、そのままになってしまった。 違うと判断した根拠に触れてないので、どうしてかなと思う。 ここからは推測に過ぎないのですが、奥さんに対する態度や雰囲気が違っていたのではないでしょうか。 良くなついている猫が家の外では飼い主を無視したり、そっけなくするのはよくあることです(そうでない猫もいますが)。 それ以前は猫を飼い慣れていなかったようなので、そのような態度の違いから「ノラではない」と判断したのでは? 手伝いの人や氷屋さんはもともとよその人なので、態度にそれほど違いがなかった、または毛色などの外見からだけ判断したのかも。 私にはこの猫が本当はノラちゃんだったのではないかと思えるので、百閒先生、なんでご自分で確かめないのかと思うのです。 奥さんに「尻尾を引っ張ったり、仰向けに踏んづけたり、いぢめてばかり…」と言われているけれど、猫は案外そういう遊びを気に入って先生が大好きだったかもしれません。 直接会っていればまた違っていたかも。

 

捜索中に迷い込んできた、ノラに似ているけれど尻尾の短い猫にクルツ(ドイツ語で「短い」という意味)ー愛称クルーと名付けて飼い始める。 よく似た猫に愛着を覚える気持ちはよくわかります。 でもノラに対する愛着が消えることもない。

5年3か月居ついたクルは病気で死んでしまい、また百閒先生を嘆かせます。 けれど出来ることはしてやったと、後悔は少ない。 自分は猫が好きなのではなくて、ノラやクルが好きなのだといって、その後代わりの猫をという申し出は断っておられます。 猫なら何でもいいというわけではない。 これは一般に猫好き、犬好きといわれる人にも共感できることでしょうね。

 

猫の飼い方も昔とはすっかり違って完全室内飼いが主流になっていますが、それでも失踪する猫は後を絶たないようです。 外に出たことが無ければ、いったん出たときに一層帰れなくなるのかもしれません。 心配する飼い主の気持ちは、毎日泣き暮らすことはなくても、百閒先生と変わりはないだろうと思います。

 

 

ノラや」  内田百閒 著(中公文庫)