「床下の小人たち」シリーズ

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前々から紹介したいと思っていたシリーズですが、この夏ジブリのアニメが公開予定で、違うイメージで定着してしまうと書き難くなるので…(それで書きそびれた物、かなりあります)。

鉛筆よりも小さいけれど人間そのままの小人たちが、人間の家に住み着いて借り暮らしをしている。
この発想がストンと納得がいって魅力的です。
ケイトにこの話をしてくれた、かなりのお歳のメイおばさんが子どもの頃のこと。 それを更に他の人たちからも話を聞いたケイトが、大人になってからまとめた物。 というので、だいぶ昔の話でしょう。
イギリスの田舎の古い屋敷の床下に、借り暮らしの小人の一家が住んでいました。 お父さんはポッド(「豆のさや」という意味)、お母さんはホミリー、15歳になる娘はアリエッティです。
借り暮らしというのは、自分たちで物を作らずに、人間の持ち物を借りて(といっても返さないのですが)生活しているのです。 物を作らないというのはちょっと言い過ぎかも、加工はするけど生産はしないということです。 この人間から借りた物や自然の物を小さな人たちがどう利用しているかというのが面白い。 お人形遊びのような楽しさを感じます。 

彼らはその暮らしを人間に依存しているのですが、同時に人間を恐れています。
彼らの掟は「人間に見られてはいけない」ということ。 どんな目に遭わされるか分かりませんから。
見られたが最後、それまでの暮らしを捨てて移住しなければいけない決まりです。 「借り」に行く時以外は外に出ませんし、「借りる」のはお父さんの仕事です。
活発で好奇心旺盛なアリエッティには我慢出来ません。 人間の本で字や知識を勉強し日記も書いている彼女は、人間や外の世界に興味津々です。
ようやくお父さんに連れられて外に出たアリエッティは、人間の子どもに見られてしまいます。 屋敷で療養していた、メイおばさんの弟です。 彼は小人たちのことを秘密にしてくれて、しかも彼らのために人形の家具など差し入れしてくれるのですが、その好意があだになって、彼らの存在が料理番達に知られ(人間そっくりの小人というところまでは知られていませんが)、煙でいぶし出されてしまいます。

その後、小人の一家は安住の地を求めてさまよいます。
野原の洞穴で靴の中に住んだり、森番の小屋に住む親戚と再会して居候したり。 
野育ちの借り暮らし、スピラーという若者にも出会います。 彼の協力でヤカンに乗って川を下って模型の町にたどり着き、人形の家で快適な暮らしを始めたのもつかの間、商売で模型の町を開いているライバル業者に誘拐され、危うく見せ物にされそうになったり。
風船を気球に仕立てて脱出し難を逃れた一家が、元の模型の町には戻らず、別の安住の地を見つけようと決意する4作目で話は完結したはずでした。 1作目が出たのは1952年、4作目は1961年に出されています。

ところが、それから20年以上経った1982年に5作目が発表されたのです。
一家は教会に隣り合う牧師館に理想的な住まいを見つけ、一人暮らしの借り暮らしの若者ピーグリーン(「豆の緑」という意味、本名はペレグリンですが)と出会います。 森番の小屋を出た親戚一家も、教会に移住していました。
しかし、ここにも小人たちを諦めない「模型の町」業者の追跡の手が伸びてきます。 小人たちはどうなるのでしょう?

20年以上経って続編が書かれたことについて、訳者(前4作と変わっています。訳文に特に違和感はありませんが)は、人間の文明や自然破壊に対する危機感からではと推測する内容を後書きに書いていますが、その説にはあまり納得出来ません。
私はむしろ、あの「ゲド戦記」と同じく、ジェンダーの問題があるのではという気がしています。

4作目の最後の方で、アリエッティはスピラーと結婚すると宣言して両親を驚かせます。 作者は彼らが(あまり人間に頼らない)自由で冒険的な素晴らしい生活をするだろうと予言していますが、実はその作者の意見にもあまり賛成出来なかったのです。
スピラーは頼もしい野生児ですが、根っからの冒険家、放浪者で家庭向きとは思えないのです。 
特に無口で何を考えているか分からず、何も説明せずに一人で行動に移すような所は、活発で自立心に富んだアリエッティの伴侶としてふさわしいとは思えません。 気が向いたら何も言わずに家族を放ったらかして、何ヶ月も放浪の旅に出そうな気がします。 そんな時、アリエッティは文句一つ言わず、笑顔でけなげに留守を守り、子ども達にお父様は本当はみんなを愛しているのだと教えるのでしょうか?
スピラーと結婚するということは、アリエッティにそんな古めかしい良妻賢母役を押しつけることだと、作者は気付いたのではないでしょうか?

5作目で登場するピーグリーンは、それに対して、穏やかなインテリ。 脚が悪いのに一人で生き抜いてきた芯の強さもあるし、器用で芸術的センス、創造力もある。 何より自分の考えを順序立ててきちんと話せるし、人の話もちゃんと聞く。 スピラーには悪いけど、結婚相手だったら断然こっちでしょ。
ピーグリーンの登場と5作目最後の経緯で、スピラーとの結婚宣言は白紙になったのだと思います(そもそもスピラー本人は、この宣言、全くあずかり知らぬ事ですし)。

ピーグリーンは、この平和な生活が何時までも安全に続くとは限らないと最後に言います。
生活は不安定ながら、強い希望を示して終わった4作目と、穏やかで満ち足りた生活なのに漠然とした不安を残して終わる5作目。 20年以上の時を経て生じたこの差に、訳者は人間文明への危機意識を見たのかも知れません。

小人達はこの後どうなったのか?
1作目で絶滅の危機が語られている彼らですが、今でも、この日本でも、生き延びているはずと私は睨んでいます。 そうでなければ、我が家でもしょっちゅう細々した物、特に靴下の片方が無くなる理由が分かりませんから。


床下の小人たち」   メアリー・ノートン作 
「野に出た小人たち」
「川をくだる小人たち」
「空をとぶ小人たち」             以上 林 容吉訳
「小人たちの新しい家」               猪熊葉子訳(岩波少年文庫