モロー博士の島

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最近は読むの少なくなったけど、子どもの頃はSFもよく読んでいました。 子ども向きに書き直された古典的なものが多かったけど、当時は作者のことなど気にしてなかったので、ヴェルヌとウェルズの区別も付いてませんでした。 今思い起こすと、ヴェルヌの方が好きでウェルズの物はあまり読んでなかったようです。

で、これはどうかなと、「モロー博士の島」と「宇宙戦争」を読んでみました。 子ども向きの文庫ですが、完訳版となっています。

発表順で「モロー博士の島」から。

19世紀末、船で遭難して11ヶ月後に別の船のボートで漂流しているところを救助された、エドワ-ド・プレンディックの手記。

遭難後、動物を積んだ奇妙な貨物船に救助されたプレンディックは、救助者で荷主のモントゴメリーが目的地の孤島に到着した時、酔いどれ船長によって置き去りにされてしまう。 
島の主は白髪の老人、モロー博士。 医師であるモントゴメリーはその助手でした。
異端の学者モロー博士は、その島で動物を手術と暗示によって人間に変える、恐るべき実験を繰り返していたのです。
科学的な根拠については、今となっては荒唐無稽なものでしょうが、作者は科学の問題を云々したいのではなく、人間の業といったものを描きたかったのだろうと思います。
漂流ボートや貨物船での人間の醜さ、嫌らしさ。 逆に博士を神とあがめて「おきて」を唱え、逸脱者を排除しようとする動物人間の愚かさ、おぞましさは、現代社会にもある政治や宗教がらみの様々な事件や出来事を思い起こさせます。
イギリスに生還したプレンディックが、文明人であるはずの人間達が動物人間に見えてしまうというのも、無理からぬ事と感じました。

巻末に、訳者による作者H・G・ウェルズとその生きた時代の解説が付いています。
ウェルズといえば19世紀の作家というイメージだったのですが、わずか1年とはいえ第2次大戦後の1946年まで生きていたことを知って、ちょっと意外でした。
また、荒俣宏氏の「ヴェルヌは海底を探検するために潜水具を漬けることを要求するが、ウェルズなら裸のままで海底に達する方法を考えるだろう。」という言葉を引用して、ヴェルヌとウェルズを比較しています。
私には、ヴェルヌは基本的に科学の進歩や人間性を信頼する明るい楽天的な作風、ウェルズは科学が進歩しても変わらない人間の愚かさや問題点を描くためにSFの手法を用いたのではと感じられます。
だから子どもの頃ヴェルヌの方が好きだったし、今でもそうなのですが、科学の進歩が暴走しかけている今、ウェルズの警告に耳を傾けることも必要だろうと思います。


「モロー博士の島」  H・G・ウェルズ作  雨沢泰訳(偕成社文庫)