「世にも不幸なできごと」シリーズ

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終に昨年完結したシリーズもの。 外国の作品て、次の巻が出るまで結構間が空くのが多いんですよね。 翻訳に時間が掛かるということでなくて、原作自体が。 
これもちょっと間が空いたことがあったと思う。 そうすると前どんな話だったか思い出せなかったり…。
シリーズものも、1冊ずつ感想を書けば記事が増やせるのに、全体を見てからでないと書けないのが、私の困ったところ。
というわけで、途中引っかかっているもの沢山あるのですが、その一つがようやく完結しました(自分が読むのはもっと遅くなってますが)。

「世にも不幸な」というけれど、ホントに不幸だったら、1巻目で悪党オラフ伯爵の目論見通りになって、哀れなボードレール家の孤児たちは全てを奪われて殺されちゃってるんじゃないでしょうか? 
ところがどっこい、そうはさせない。
次々に降りかかる災難を、これまた次々と乗り切る、不幸だけれど強運な3姉弟妹。
その状況も、3姉弟妹の能力も、乗り切る方法も「あり得ないでしょ?」というものばかり。
「あ、何でもありのそういう世界なんですね。 どうぞお好きに。」と思わせてしまった作者の勝ちでしょうね。
それにこの作者、初めから終いまで、型破りに、この本を読まないことを勧めている。 それでも読んじゃったら文句は言えないか?

まあその、次々めまぐるしく押し寄せる危機を切り抜ける、ジェットコースター的状況を楽しめばいいのでしょうが、後の方の巻ではちょっと様子が変わってきます。
中盤から出て来た謎の言葉VFDがある組織の名で、そこに全ての始まりがあったのですが、その謎が明かされて来るに連れて、善と悪の対立の構図が微妙になってきます。

子ども達の両親とオラフの本当の関係は? オラフ以上の黒幕が影にいるのでは? 孤児たちは友だちと再会出来るのか? 作者のこの物語の中での立場は?
そんな疑問が最終巻で解決されるかと思うと、これがそうはいかない。
第13巻は、また新しい状況で、新たな事実が明らかになり、新たな謎が生まれることになります。
そしてハッピーエンドにしないという公約通りの終わり方ですが、決して不幸でもありません。
何故そうなるのかということは最後に近い方でちょっと触れられています。

「はじまりのある物語はないのだといってもいいし、終わりのある物語はないといってもいい。…だからはじまりから終わりまで物語はそれをどう見るかによってちがってくる。 世界はつねにメディアス・レスーこれはラテン語で”ものごとの中心”とか”話のまんなか”という意味ーにあるといってもいいし、謎を解決したり、トラブルの根っこを見つけたりするのは不可能だといってもいい。」

他で見たなら、ずいぶん真面目で哲学的な言葉という気がしますが…。

とはいえ、いろんな謎はやっぱり気になる。
カバーの裏に「もう1巻くらいあるかも…」と書かれていたけど、もし出たなら、また乗せられて読んじゃうかも?


「世にも不幸なできごと」13巻  レモニー・スニケット作  宇佐川晶子訳(草思社