三四郎

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漱石先生の作品で3番目に取り上げるのは「三四郎」。

前に取り上げた「坊っちゃん」 はパロディーの多い作品ですが、その中に「坊ちゃん」とは逆の設定で「田舎から東京に出た学生(女子だったと思う)の活躍…」という物があったけど、それなら、この「三四郎」がそうじゃないかと思うのですが。 もっとも、主人公、三四郎は「活躍」という程のことをしません。
漱石先生の作品にはバランス感覚みたいな物が働いてるようです。 
1作目「吾輩は猫である」では自身を等身大に戯画化した苦沙弥先生の家が舞台。 次の「坊っちゃん」では、神経質な文学者である自身とは正反対の、理系バカとでも言うべき直情径行の坊っちゃんを主人公にしていますが、考え方やクセに漱石自身が反映されていそうなところがご愛敬。 舞台も地方の松山に移ります。 

少し間があって書かれたのがこの「三四郎」。 先に触れたように、「坊っちゃん」とは逆のような設定で、熊本の田舎から出て東京帝国大学に入った青年、小川三四郎が主人公です。 性格も坊っちゃんとはまるで違う。 素朴で真面目で、おとなしいと言っていい。 そんな彼が東京に出て大学に入り、いろんな人と出会い、関わっていく。 その中で日常的な起伏や小さな事件はあるものの、それほどの大事件は起こらない。 そんな日々を比較的淡々と描いています。

坊っちゃん」「吾輩は猫である」に比べると文章もぐっと落ち着いた感じですが、まだゆとりとユーモア(漱石の言葉によると「彽徊趣味」)が残っていて読みやすいし、地の文が地味になった分、印象的な言葉が際だつ作品です。
極めつけは最初に登場する、三四郎が上京する汽車で出会った高等学校教師、広田先生(この時はまだ、どこの誰とも知りませんが)の言葉、「熊本より東京は広い。 東京より日本は広い。 日本より…」「日本より頭の中の方が広いでしょう。」
「この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。」と、ありますが、まさに、なぜ学問をするか、なぜ本を読むかという答えがこの中にある気がします。
同時に広田先生は「とらわれちゃだめだ。」とも言っている。 それは日本に関する言葉なのですが、その後の三四郎の歩みを暗示しているようでもあります。 実際、三四郎はいろんなことに、とらわれまくるのです。

郷里の先輩である理学士、野々宮兄妹や級友・佐々木与次郎との縁で広田先生と再会した三四郎は、さらに、大学構内の池(写真; この作品にちなんで「三四郎池」と呼ばれている)の端で出会った魅力的な女性、里見美禰子とも再会します。
三四郎が最もとらわれるのがこの女性、美禰子。 後半は三四郎の美禰子への思いと、その関わりが中心になります。

あちこちで目にするこの作品の解説には、美禰子に手厳しい批評が多いようです。
彼女がウブな三四郎を誘惑し、その心をもて遊んで捨ててしまうとでも言うような。 魔性の女、とまで書いてある物もあった。
けれど、読んでいて彼女はそこまで悪女とは思えません。 解説を書いているのは殆ど男性だから、自分の失恋や女性関係の失敗を女のせいにして、美禰子に恨み辛みをぶつけているのではと勘ぐりたくなります。
私が最初に読んだ時は(中高生の頃と思う)、三四郎の独り相撲のような印象を受けました。 美禰子が好きなのは、野々宮さんなのは明らかに思えたのです。 今読み返してみると、美禰子の気持ちも後半は微妙になる感があります。

漱石先生も男性なので、作者の意図と違うかも知れませんが、あえて自分なりに美禰子の三四郎への気持ちを考えてみると、これも作中引用される、「Pity's akin to love」という言葉に象徴されそうです。 「憐憫(あわれみ)は愛に似る」という訳語を見たことがありますが、似ているけど同じではない。 だから「可哀想だた惚れたってことよ」という与次郎の訳は、同じにしてしまっている点で誤訳ということでしょう。
美禰子の三四郎への気持ちは憐憫・同情というより共感に近いのではないでしょうか。 
三四郎は東京に出て郷里との差に驚き、その中で将来の道をあれこれ模索し悩んでいるのですが、将来の悩みという点では美禰子も同じ問題を抱えていると言えます。
両親を早く亡くし、兄とふたり暮らし。 その兄の結婚も決まったとあれば、自分も身の振り方を考えねばならない。 当時の女性の身の振り方といえば結婚以外の選択は無いに等しい。 漠然と好意を寄せ合っている野々宮さんが申し込んでくれるのが一番だけれど、彼は研究以外はあまり眼中にない様子。 そんな彼の態度が、美禰子には無責任で苛立たしく思えたでしょう。 広田先生らと菊人形を見に行って一人抜け出したのも、野々宮さんに追いかけて欲しかったから。 ところが彼は気が付かず、三四郎が追いかけてきた。 内容はちがうものの、同じように将来への悩みを持つ者同士であることを感受性の高い美禰子は見抜いて、それを「迷子(ストレイ シープ)」と表現したのでしょう。

この頃から美禰子の気持ちは微妙に変化してきているようです。 もしかしたら、はっきり態度に示してくれるなら、三四郎に乗り換えても良いと思いだしたかも知れません。
ところが三四郎がまたはっきりしない。
それは美禰子と野々宮さんの関係がはっきりしないからだと、男性評論家の皆さんはおっしゃるかも知れませんが、その責任は美禰子より野々宮さんにある気がします。

前に読んだときは気にとめなかったけど、今度読んで気になったのは、三四郎の郷里の幼なじみ三輪田のお光さんの存在。
母親の手紙には、はっきり、大学を卒業したら貰って欲しいと申し込まれたとあるのに、三四郎はそれを断った様子はありません。 そして彼女が縫った羽織を着て出かけたりしている。
これは先方にしてみれば(羽織を着たことを知らなくても)婚約が整ったも同然でしょう。 もし三四郎が他の女性と結婚するとなると、田舎のことでもあり、お光さんを傷つけることは、三四郎が美禰子に振られたことの比ではないはずです。 それなのに、男性評論家諸氏で、このことを問題にする人は皆無なんですね。
まあ、このまま行けば、三四郎はお光さんと結婚して年貢を納めるしかなさそうです。

吾輩は猫である」の登場人物、理学士・水島寒月君は、実業家・金田氏の娘との仲をあれこれ吹聴していますが、結局、郷里の許嫁(そんな人がいたとはおくびにも出さなかった)とあっさり結婚してしまいます。 その裏にはこんな事情があったのだと、ここに来て納得出来る感じです。 寒月君の役を、本作で三四郎と野々宮さんが分け持っているようです。

こんな風に漱石先生は、作中に書かない裏の事情までちゃんと考えてあるのだと思います。 それが作品をしっかりした物にしている一つの要素でしょう。
だから唐突に見える美禰子の結婚も、評論家諸氏が考えるより、作者自身は裏の事情を考慮しているはずです。

その時の美禰子の言葉、「われは我が咎を知る。 我が罪は常に我が前にあり。」(聖書詩編の引用)を、三四郎の心をもて遊んだことを告白しているとする説を見ましたが、それも違うと私は思います。
「我が罪は我が前にあり」ならそうかも知れないが、「常に我が前にあり」です。 「常に」という言葉が入っている。 それは何を意味するか。 それは彼女の結婚自体が世間体や生きるためのもので、その後ずっと続く生活そのものが偽り、罪であると自覚していることを告白したのではないでしょうか。
三四郎にそれを告げたのは、同じ悩みを持つ「迷子(ストレイ シープ)」同士であった彼には、間違った選択をしないで欲しいという忠告だったのでは、と思います。

三四郎が書かれたのはちょうど100年前の1908年9月から12月にかけて。
だからこの文も年内に書きたかったのですが、やはり年末は何かと忙しく年を越してしまいました。
しかし、100年経った今も、若者の心情を生き生きと伝える作品の生命に驚かされます。



三四郎」 夏目漱石作(青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card794.html