ふたりのロッテ

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エーリヒ・ケストナーは大好きな作家です。 私はあまり作家では読まないのですが(その作家の物なら何でも良いという訳じゃない)、やはり好きな作家はあります。

何で今まで紹介しなかったかというと、翻訳の問題があります。
一時あまり見かけなくなって、少し前から新訳が出だしたのですが、私はどうも新訳が好きになれないのです。
高橋健二さんの旧訳は、確かに私が子どもの頃でも少し古めかしい感じでしたが、そこが、ちょっと昔の外国のお話という感じで良かったのですが。

その高橋訳「ふたりのロッテ」が、たまたま借りられたので。 時期的には「飛ぶ教室」だと良かったんですが。

夏休み、ドイツの山の湖の子どもの家で、そっくりな二人の9歳の少女が出会います。 ウィーンに父親と住むルイーゼ・パルフィーとミュンヘンで母親と二人暮らしのロッテ・ケルナー。 子どもの家というのは個人参加の長期林間学校みたいなものらしい。 ドイツ(ヨーロッパ?)では休暇の過ごし方として一般的なようです。
初めは驚き、反発した二人ですが、うち解けて話してみると、どうやら二人は本物の双子らしい。
両親が訳あって子どもを一人ずつ引き取って別れた後、お互いのことは全く知らされていなかったようです。

すっかり仲良くなった二人は、休暇が終わってそれぞれの家に帰る時、こっそり入れ替わります。
何よりもお互い、もう一人の親に会いたかったのです。

双子とはいえ、性格の違うロッテとルイーゼ。 
ロッテは真面目でしっかり者、小さな主婦として、雑誌編集者の母を支えていました。 
ルイーゼは明るく元気で、かなりおてんば。 音楽家の父の元で不自由ない暮らしですが、父は仕事場を外に持ち、いつも一緒にはいられません。
そんなふたりが入れ替わったのですから、まわりの人もその変化を不思議がります。 子どもの家で暮らした影響と思われていますが。 ふたりの変化は周囲に波紋を拡げ、二人の父と母もそれぞれに変わっていきます。

そうこうするうち、重大な問題が持ち上がります。 父親が恋人のイレーネ・ゲルラハ嬢と結婚すると言い出したのです。
ルイーゼに成りすましていた、母親思いのロッテはびっくり。 何とか阻止したいが、9歳の彼女に何が出来るでしょう?

偶然に導かれたハッピーエンドは、ちょっと出来過ぎかも知れませんが、こどもの純粋さを信じるケストナーの気持ちを汲んであげて下さい。

この作品は1949年に発表された物で、前後して映画化もされ、さらにアメリカ、日本でも映画化されたそうです(日本での主演は何と美空ひばり!?)。 劇団「四季」のミュージカルもあるようですね。
第2次大戦後初めての子どもの本ということで、戦前の、例えば「点子ちゃんとアントン」などに比べて、人を見る目がおおらかになっているようです。 パルフィー家の家政婦レージの描き方などに、それがうかがえます。
ケストナーは戦争中ナチスに迫害されて苦労しているのですが、ユーモアも批評精神も衰えてないところが嬉しいです。

ふたりのロッテ」という題名、なぜ「ロッテとルイーゼ」じゃないのか、ちょっと気になります。
双子のうち、真面目で働き者のロッテの方が、作者のお気に入りなんでしょうね。 他の作品のエーミールやアントンと同じような子どもです。 
けれど作者は決して、ルイーゼのような子を低く評価しているわけではありません。 彼女と暮らすことで、お母さんが変わっていく様子を見て下さい。
それにロッテも、ただの良い子ちゃんじゃないことは、読めば分かると思います。

作者の子どもに寄せる期待と信頼は、今見ると素朴に過ぎるかも知れません。 
けれど、「子どもは期待に応えるもの」という言葉を聞いたことがあります。 
「今の子はダメだ」と言いながら、よけいな世話を焼いたり、不信感をぶつけたり、まして子どもを益々ダメにするような商品を金儲けのために、あの手この手で売りつけたりしている大人こそ、反省すべきだと思いますが。


ふたりのロッテ」 エーリヒ・ケストナー作 高橋健二訳(岩波書店 ケストナー少年文学全集6)