舞姫

このところ、あまり書きたい物(特にフィクション)に巡り会ってません。 または、今はまだ書けない、書く気になれないという物ばかり(http://blogs.yahoo.co.jp/myrte2005/19534115.html 参照)。

で、そういう時は、昔読んだ古典頼み。
その古典、近代日本文学といえば漱石先生ですが、漱石先生と並び称されるといえばこのお方、森鴎外先生に御登場願おうというわけです。

実は私、鴎外先生はそれほど好きじゃないんです。 ま、嫌いという程でもないけど、「御登場願おう…」なんて、持って回った言い方する程、親しみ感じてないということです。
文学としては、確かにそりゃ立派な物だと思います。 でも、人間的な立場というか、姿勢ってもんが、「何かなぁ…」って気にさせるんですよ。

この第1作「舞姫」で、特にその傾向が強いです。

高校の教科書に載ってたりするので読んだ人も多いと思います。 「近代文学っていうより古文だろ」と思った方も多いでしょう。 
でも、私が嫌なのはそこじゃない。 文章は読んでれば何となく意味は分かってきます。 
でも、ウンザリさせられるのが、この主人公の性格。 
主人公、太田豊太郎は鴎外自身がモデルでしょうが、ベルリンに官費留学する秀才だけど、とにかく優柔不断。 まあ、鴎外が自分に厳しく、そういう性格に描写したのだといえば聞こえは良いんですけど。

その豊太郎が、ベルリンで貧しい舞姫、というとこれも聞こえが良いけど、あまり高級じゃない踊り子のエリスを偶然助け、愛し合うようになる。 その交流がもとで留学生の資格と俸給を失い、一時は貧しいながらもエリスと共に暮らそうとするものの、友人・相沢謙吉の口利きで大臣・天方伯に仕える途が出来るや、自分の子を宿したエリスを捨てて日本に帰ってしまうという、なんとも酷い話です。

内容に加えてイライラさせられるのが、自己弁護に終始する語り口。

この主人公、豊太郎と対照的なのが友人の相沢謙吉。 世渡り上手な俗物なんですが、首尾一貫している分、まだしもという感じもします。
この相沢が、エリスとの仲を評して言う、「人材を知りてのこひにあらず」という言葉は、おや?と思わせますが、人材というのは人格、人間性ということではなく、身分、家柄、財産なんかを意味するのでしょうか。 鴎外先生、実像は案外この相沢に近いんじゃ、という気もします。
豊太郎がエリスとの暮らしを何とか立てられたのも相沢のおかげ。 だから友の言葉には逆らえないということになってるけど、それにしても、発狂した妊婦とおなかの子を見捨てて日本に帰るなんてあまりに酷すぎる。 金渡せばええってもんじゃないでしょ!

もちろん、それは事実ではないのですが、鴎外の経験に似たことはあったようで、その事実発掘とエリスのモデル探しは時々話題になります。 ややホッとすることに、モデルとおぼしき女性は、作品のエリスよりずっと逞しく、鴎外を訪ねてはるばる日本にやってきたという話もあります。

それにしても、作品の結びの言葉が、「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。 されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。」というのは、もう、ええ加減にせえ!と思います。

よく聞く言葉に、昔(明治から昭和の初めを意味することが多い)の人(男)は偉かった、責任感が強かったというのがありますが、この「舞姫」を読む限り、そんなことはとても信じられません。


舞姫」 森鴎外作 青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2078.html