鞍馬天狗読本

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先の鞍馬天狗傑作選とセットの解説書。
これは今年の1~3月(年度は平成19年度)開催された大佛次郎記念館特別展(横浜市)の図録として編集された物だそうです。

傑作選と同じ村上豊氏の表紙絵(本はやや大きめ)。
「傑作選」では天狗の面を着けているが、「読本」では馬上姿で面をはずして目元涼しげな素顔を覗かせている。 なかなか洒落た作りです。
ただし、原作では鞍馬天狗自身が面を着けていたことは無かったと思いますが。

今までに出版された本や全集、その挿絵、原稿・書簡その他の資料、映画・テレビで今までに演じた俳優の写真や映画ポスター、それに鞍馬天狗を題材にしたメンコなどのおもちゃまで、見るのも楽しいです。
子どもの頃読んだ、中央公論社刊「決定版 鞍馬天狗」全12巻の写真が懐かしい。 この全集の口絵も全て収録されていますが、鏑木清方始めそうそうたる画家の手になる物。 こんな価値ある全集だったとは。 今、実家でどうなってしまったのかと気になります。

資料の図版だけでなく、作者の写真や解説文も面白い。
中でも、後の方に収録された作者自身の鞍馬天狗に寄せる思いを語った文章の数々は、興味深いものです。
長年書くことに倦み疲れ、書き継ぐうちに生ずる不条理に気づきもする。 天狗が初めの頃より若返っていることは作者も認めています。 
もう止める気になって久米正雄らに意見され、返って「僕は鞍馬天狗と心中することにする。… 僕の一生の最終作品も鞍馬天狗になることを、ここで約束します。」と宣言させられて、「私も自分より前に鞍馬天狗を小説の中で倒せないことになってしまった。」と書いています(「サンデー毎日」昭和28年『生涯の友』)。
さらに1年余り後、同誌『鞍馬天狗と三十年』の中では、「どんなに仲がよい友人関係にも、不和は生じる。…私も我が友、鞍馬天狗があまり疲れることを知らず、絶望を知らず明るいのに、反感を抱いた。 幾度か、もう書くまいと思った。」とも書いています。 このあたりは、シャーロック・ホームズを書くことに疲れて、彼がモリアティー教授とともにライヘンバッハの滝に落ちて死ぬことにしてしまった、コナン・ドイルの気持ちもこうだったかと思わせます。

鞍馬天狗の人間像について作者自身は、「いつの場合も、彼は時の権力の利用者(権力者ではなく、利用者としていることに注意)にたいして強い抗議を出す。権威に反対の利得のない立場が、彼が落ち着く場所である。 これだけは終始変わらない。」としています。 これこそが鞍馬天狗の最大の魅力であり、現代社会に足りない物ではないかと、私は思います。
一方、『鞍馬天狗と三十年』では「アルセエヌ・ルパンや、ダルタニヤンにくらべて、なんと彼は、日本的で、つつましく、時には気弱くさえ見えることであろう。 … 西欧の社会では、女色も金銭の追求も、人間に許された徳性なので、ダルタニヤンも、ルパンも、その性質を濃く厚く持っていて、たくましい。 鞍馬天狗君は、彼らにくらべれば、どこまでも道徳的で、清潔なのだ。 それが彼の弱味でさえある。」と書いています。
いや、そこが良いんじゃないですか!
大佛先生、このころ敗戦で弱気になってるんじゃないですか? もっと日本的な良さに誇りを持って欲しいな。 大佛先生だけじゃなく社会全体の、この変な西欧コンプレックスが、戦後の日本を悪くしてきた底流にあるのでは?
それにしても、ダルタニャンにちょっぴり愛想を尽かしてこちらに来たのに、またここで彼にお目に掛かるとは。
 「あれ? …どうも」という感じ。 まあ、先方は気付いてないでしょうが。


しかし、それに続いて、「彼の真価は、いつも権力に敵対することにあるのだと称しても言い過ぎにはなるまい。 鞍馬天狗が常に浪人だということも偶然ではない。 彼は人間の善意には動かされるが、人間にいつも善意があるとは甘く信じていない。 また人間がねつ造した権威を信じない。」とも書いています。
先の引用と同じく、これこそが鞍馬天狗の魅力であり、今、現代の日本にこそ彼が必要ではないでしょうか。
こういう態度を「何でも反対」と否定的にとらえる向きもあるかも知れませんが、権力に腐敗はつきもの、批判的な視点は常に必要です。 現代の日本でも、批判勢力が否定的に封じ込められるようになったのと、社会が悪くなったのは比例している気がします。

この文章の終わりに、大佛次郎は、「最後の時まで、私は鞍馬天狗を道連れとして歩くつもりである。 私がこの世を終わる時、彼も死ぬのだ。 そのためには、彼に隠して、この快男児が彼らしく堂々と終わる場面を持った小説を、密かに準備しておかねばなるまい。 … これは如何にも私にはつらい。 … その彼を小説の上でも私が手にかけて終わらせるのは不実なことではなかろうか? … 彼を私などよりも不死のものにしてやる努力を考えたい。 …」と迷う心中を語っています。

結局、どのように決心が付いたのか、意図したことが果たせなかったのかは分かりませんが、作者、大佛次郎鞍馬天狗の最期を書くことはありませんでした。

これは私たち読者には幸いなことです。
思い起こせば、鞍馬天狗はいつでも、幕末の京や江戸の町を、また明治の東京を、颯爽と馬をとばし、飄然と闊歩しているのですから。


鞍馬天狗読本」 大佛次郎記念館編 (文芸春秋