鞍馬天狗とは何者かー大佛次郎の戦中と戦後

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以前にも取り上げた国民的時代劇ヒーロー「鞍馬天狗」。
題名を見るとそのモデル探しかと思われるのですが、そうではなくて、作者大佛次郎の評伝、それも戦中戦後の思想と言動を中心とした物。

「はじめに」で著者は「大佛が軍国主義に対して批判的であったというのは、通説化している。 … ところが、大佛が、あの戦争をどう捉え、何を考え、どう行動したのか、いま一つその具体像、実像は見えてこない。 …また、その『空白』と対応するように、戦時下の作品のなかで、戦後の著作集・全集のなどに未収録、あるいは、未再刊の一群の作品が存在していることがわかった。 そして、その作品をみてゆくなかで、従来の大佛次郎のイメージを覆す驚くべき事実を発見した。」と記しています。

この本が刊行された当時、「大佛次郎の戦争協力責任を追及した」として一部で話題になっていたことを記憶しています。 しかし、読んでみると、著者の姿勢は「責任の追及、告発」というものではなさそうだし、「戦争協力」の実態も決して、いわゆる犯罪的なものとは思えないのです。 私としては、本書を読んで、自由主義個人主義的な鞍馬天狗の作者のイメージが変わることはありませんでした。

著者はその戦後未刊行の随筆や小説の中に大佛の思想の変遷を探ります。 そして大佛の「戦争協力」は、大衆作家としての国民との連帯感や祖国愛に基づくもので、軍部への協力とは別物と考えています。
そして、この「国民」主義は戦争協力への道を開くと同時に、非戦的態度へも向かわせる両義的なものだと述べています。

先の「通説」とは逆に、大佛自身は自分の「戦争協力」責任を自覚していたようで、東京裁判に関する発言や、戦後の現代小説「帰郷」などの中にその心情が述べられています。 しかし、それは「軍部にだまされた」という言い訳でも、「自分は間違っていた」という改悛でもありません。 本書に述べられているその内容は手短に説明するのが難しいのですが、その責任を取るために、彼は「パリ燃ゆ」や「天皇の世紀」といったノンフィクションを書いて、人間と歴史の関わりを追及したのだということは納得いく気がします。
「はじめに」で「この『空白』を埋める作業を進める中で、次第に、この作業は単に大佛次郎という一作家研究において重要であるのみならず、戦中・戦後の日本人を考える上でも大きな意義を持ってくるのではないか…」という意味もよく分かります。
戦後生まれで戦争を知らない私たちも、
「一国の歴史に、失敗や恥辱が記録されたとしても、『国家』や民族の生命も人格もそのまま持続する。 自分たちは過去の征服や戦争を知らぬ新しい日本人だとうぬぼれるのは、ひとりよがりである。 戦争に手をぬらさなかった日本人も、その思い上がりや敗北に自分だけきれいでいられると考えるなら卑きょうである。 … 過去を否定するのはよいが、自分たちのものだったことに変わりはない。 それを認める勇気は成長のためにどこまでも必要である。」という、大佛氏の言葉を重く受け止める必要があるでしょう。

読書をするのは楽しみ、時間つぶしという面もありますが(最近はこれが多かったんですが)、事実を知り、世界を拡げ、生き方や社会との関わりを考える手掛かりを得るという面もあります。
今までその実態が見えにくかった近代日本の問題にアプローチする鍵が、本書や大佛氏の著書の中にあるように思えます。
じつは私は鞍馬天狗以外の大佛氏の著書は殆ど読んでなかったのですが、現代小説や「天皇の世紀」なども読んでみようかという気になりました。

そういう意味で意義深い本でしたが、ちょっと著者に異議申し立てしたい点もあります。
まず序章で、「鞍馬天狗のモデルは坂本龍馬である」と断言している点。 確かに龍馬は鞍馬天狗と立場や思想が似通っていて重要なモデルの一人ではあるけれど、唯一、最大のモデルではないと私は考えます(このことはまた機会があれば論じたいと思います)。
もう1点は些細なことですが、大佛次郎の読者には女性が少ないとしている点。 一体どういう根拠で言っているのでしょう? 私の周囲にも同性のファンはいるし(「鞍馬天狗」限定かも知れませんが)、何より「あとがき」にある本書の母体となったという読書会の報告者が著者以外ほとんど女性であるのに(女性みたいな名前だけど実は男性なんでしょうか?)、です。 この点、大いに疑問です。
また、本書にあるように、大佛次郎自身は自分の戦争協力責任を誤魔化そうとしていなかったのに、「はじめに」にあるように「軍国主義の批判者」とされたのは何故かという問題があります。 ここにこそ戦後日本の問題点がありそうですが、それはこの本で扱う範囲を超えていることは承知しています。 その問題は大佛氏の著書を読みながら、別の機会に考えていきたいと思います。


鞍馬天狗とは何者かー大佛次郎の戦中と戦後」 小川和也著(藤原書店