それでも、日本人は「戦争」を選んだ

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新聞で広告を見た時から読んでみたかった本です。 
題名から「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著 岩波書店)の戦前版のような内容を予想していました。 読んでみて、その点は期待はずれでした。

「高校生に語るー日本近現代史の最前線」と表紙にあるように、東大文学部教授である著者が、私立高校の歴史研究部メンバー(中学生も含む)に講義した内容をまとめたものです。
題名から想像する第2次大戦だけでなく、日清戦争に始まる日本近代の戦争と世界情勢を扱っています。

歴史教科書では1、2行で済まされるところを新しい資料も取り上げてかなり詳しく論じているので、面白くはあるのですが、読むうち違和感を覚える点もありました。
中高生相手の講義なので繰り返しが多く説明がくどくなったり、くだけた表現をしようとするのは仕方ないと思うのですが、「めちゃくちゃ面白い」「なんとなんと」「すごい」「えらい先生」というような主観的・情緒的な言葉を連発されるのはちょっと…。 著者の考えや解釈を述べるのは構わないのですが、事実と意見・解釈はきちんと区別して欲しい。 事実を述べるところで、このような言葉が氾濫しているのはいただけません。

序章で歴史を学ぶ意味、過去の歴史が後の世に影響を与えた例を挙げています。
その中で、ソビエト連邦レーニンの死後、軍事的天才であったトロツキーではなくスターリンを後継者としたのは、フランス革命後に登場した軍事天才ナポレオンによってヨーロッパが戦乱になったと考えたからだと述べています。 でも、歴史ってそんな単純なものでしょうか? 私はそのあたりあまり詳しくないのですが、トロツキーでなくスターリンソ連の指導者になった背景には、もっといろいろ複雑な事情があったはず、くらいは見当が付きます。 歴史家にはその事情を解き明かしてくれることを期待するのですが。

読み進むうちに気になってくるのは、序章に書いているのとは裏腹に、著者は実は戦争が好きなのではないか? 国際政治の駆け引きの一つとして必要なものと考えているのではないか?ということです。
そのような東大教授である著者が、将来東大に入って官僚や政治家になる(そして戦争になっても直接、戦場に立たなくて済む)はずの私立中高生に、「将来駆け引きの手段として戦争出来るように歴史を勉強しておきなさい」と言っているような気がしてくるのです。いわばエリートによるエリートのための戦争学とでもいうのでしょうか。

そして最後の章「太平洋戦争」になると、それまでと全く趣が違ってしまっています。 
それまで話の中心だった個人の政治家、軍人の言動や役割にはあまり触れず、戦死者の遺骨の問題や満蒙開拓団派遣に絡む補助金、捕虜の扱いなど話題が拡散したまま終わってしまう。 題名の「それでも、…」は具体的にどういうことか、表紙にある「普通の良き日本人が、世界最高の頭脳達が、『もう戦争しかない』と思ったのはなぜか?」の答えも結局よく分かりません。
この章の最後に、戦後60年間日本の政治、軍事指導者の戦争責任問題は十分に議論されていないという、新聞のアンケート結果を紹介していますが、それはこの本も同じではと思います。

そのような議論がきちんと出来ていないのは、まず第1に歴史教育近現代史をきちんと教えられていないからです。 それほど詳しくなくても良いから、学校教育で戦争に限らず近現代の歴史をきちんと取り上げていく必要があると思います。


「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」   加藤陽子著(朝日出版社