困ってる人

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以前から気になっていた、一部で話題の闘病記。

読んでみての感想は、なかなか複雑です。
著者自身が、検査のため一時入院した「ワンダーランド」と呼ぶ長期療養病棟で、眼にした実態に言葉をなくす心情に似通っているかも知れません。
しかし、著者は難病の当事者であり、読者である私たちは傍観者であるという差は大きいでしょう。

この「当事者」というのがこの本の1つのキーワードであるようです。

著者は学生時代からビルマ難民に関心を寄せ、何度も難民キャンプを訪れている。 その行動力に驚かされますが、それでも著者は自分をあくまで当事者でない外部の人間と感じていた。
私などはビルマというと竹山道夫の「ビルマの竪琴」で知ってるくらいです。 ビルマというのは欧米人の呼び名で現地の人はミャンマーというからそう呼ぶべきだといわれて「はあ、そうかな」と思ってたのが、本書ではミャンマーというのは軍事政権が勝手につけた名だからビルマというべきだとあって、何かよく分からなくなりました。 その程度の理解しかしていません。
(ところでさっきから「ビルマ」と入力するたびに《地名変更→「ミャンマー」》と出てウザいんですけど…)

とにかく精力的に難民問題に取り組みながら、自身が当事者でないことに引け目(?)を感じていた著者が難病の当事者になってしまう。 これは皮肉というか、運命というか…。
著者の行動力は、病気の究明と闘病に向けられることになります。

症例が少ない難病で、診断が付くまでに長い時間と数々の辛い検査を経て、診断が付いても原因もはっきりせず治療法も確立されていない。 著者が「オアシス」と呼ぶ都内某病院での入院生活を送ることになりますが、これが予定調和的な闘病生活にはならない。

手探りの治療・闘病生活を送りながら、少しでも人間らしく生きたいという著者の自己主張・バイタリティーには感心するのですが、周囲を巻き込んでの様々な問題も生じてくる。
献身的に協力してくれた友人たちが、やがて「もう無理…」と去っていく。 著者には大いに困ることですが、私は友人たちを責める気にはなりません(著者もけっして責めてはいないのですが)。 どんな援助にも継続性と限界の問題はあるでしょう。 日本人はその設定が下手なんだろうと思います。

医師や看護師など医療者との関係も微妙。
著者は繰り返し彼らの献身的な取り組みを讃え感謝を述べていますが、病院の管理という観点からは著者のように権利意識の強い患者は扱いにくいだろうなとは想像が付きます。
私は決してどちらも批判するつもりはないのですが、現行制度の問題点は感じます。

例えば退院する著者の生活援助のための評価の問題。 主治医が家事などの生活動作を殆ど一人で出来ると評価したことに著者は激怒しています。 私生活を投げ打つほど献身的に医療に没頭している医師は家事などすることがないように思います。 やったことがない人に他人がそれを出来るか評価させるところが問題なのでは?と感じました。
また著者の症状では「痛み」というのが大きな要素となっていますが、痛みの感じ方は人によって違い、客観的に評価するのは難しい物です。

「絶賛生存中」という著者の闘病生活はまだまだ続くことでしょう。
日本社会は堪え忍ぶのを美徳とするところがあって、著者のように声高に痛みや権利を訴える人を煙たがるところがありますが(私自身にもその傾向がないとは言えません)、こうして声を上げる人がいて、初めて目を向けられ改善されていく面もあると思います。

援助と「当事者」の問題、それを巡る日本人の意識については、もっともっと考えることがありそうです。




「困ってる人」    大野更紗著(ポプラ社