松本清張の「遺言」 『神々の乱心』を読み解く

イメージ 1

昨年が生誕100年でますます注目されている国民的大作家、松本清張
何となく推理小説は読むけど書かないーみたいなスタンスになっちゃってるので(はっきり決めた訳じゃないんですが)、今まで取り上げたことないですが、実は清張物も結構読んでます。 実際、推理作家という枠には収まらない。 歴史物、ノンフィクションでも大きな仕事をしているし、もっと取り上げても良いのですが。

その未完の遺作「神々の乱心」について、作品と「創作ノート」を元に、政治思想史が専門の著者・原武史氏が解説したのが本著です。

本著を読んで感じるのは、基礎知識によって読み方(読み取れること)がずいぶん違ってくるということ。
私は本作をどちらかというと純粋に推理小説として読み、「創作ノート」のことは全く知りません。
それを近現代の歴史資料に詳しい著者が膨大な「創作ノート」と共に読むと、本作にはあまり書かれていないベールの向こうの現代史が浮かび上がってくる、そこのところが面白かった。

「神々の乱心」(以下「乱心」)という小説は、満州帰りの新興宗教教祖が宮中の女官にも勢力を伸ばし、やがて皇室を意のままにしようと画策するという物です。 教祖は情報将校上がりで麻薬なども利用し、相当怪しい人物。 そもそも宗教を起こした目的が金儲けなんですから。 
教団が起こした殺人や不審死を、宗教本部のある埼玉県警の特高警部・吉屋謙介と、華族の次男で信者の女官の弟である荻園泰之が探偵役となって、それぞれ独自に調べていく話になっています。

それが政治思想史の研究者である原氏によると、その背景に皇室内での昭和天皇と母・貞明皇太后、弟・秩父宮との確執があるという。 
作中の新興宗教「月辰会」は貞明皇太后天皇とそりがあわず弟・秩父宮を溺愛しているのにつけ込んで、天皇を退位させて秩父宮を即位させ、自分たちの意のままに操ろうと企んでいる。 それは2・26事件の背景とも似通っているというのです。

ただ「乱心」の中には、原氏も「第1講」で述べているように、皇族は直接の登場人物としては全く出て来ません。 知識がなければ読み取れないというのはそこの所です。
清張が皇族を直接描かなかったことについて、原氏は「史料がないから」「わからないことに対する謙虚さ」の為としていますが、これは一般国民の皇室に対する態度にも言えるかも知れません。 よく日本人は皇室に対するタブーを持っていると言われるけれど、本当のところは分からない(知らされていない)から何とも言えないというのが大きいのではと、清張に対するこの記述を読んで思いました。

後もう1つ言えるのは、「乱心」のテーマは皇室だけでなく、もっと大きく日本人や宗教全体を含むのではということです。
著者の知識によって昭和初期の皇室事情や2・26事件の背景などが解読されるところは面白いのですが、それだけではないだろうという気がします。 
宗教団体による犯罪というと、清張の死後に社会を騒がせたオウム事件をも予言していたように感じるのですが、それについて本著では全く触れていないのは不満が残ります。
『乱心』の意味について、原氏は「本来、天皇に付かなくてはいけない『神々』が『乱心』を起こして、天皇以外の人物についてしまうという意味でしょう。」と述べておられますが、ちょっと天皇・皇室にこだわりすぎた見方では?という気がします。 私は、本来人々の幸せのためにあるべき宗教が、一部の人の利益のために他を犠牲にしている実態を告発する言葉ではと思います。

もちろん、著者も言うように本著は「神々の乱心」の忠実な注釈書ではないので、それはそれでよいのでしょうが。

未完に終わっているので、結末についてもあれこれ考える楽しみがあります。
著者が上げてる3つのシナリオについても、納得出来無いところは多々あります。 歴史小説というより推理小説として読んだ私としては、二人の探偵役の運命が気になるところなのですが、それはまたの機会ということにしましょう。



松本清張の「遺言」 『神々の乱心』を読み解く」   原武史著(文春新書)