百まいのきもの(ドレス) ~  いじめと芸術

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いじめが話題になるとこの本を思い出します。

初めて読んだのは小学校低学年の頃で、当時は「いじめ」などという言葉もあまり使われていませんでした。 それでもいじめはずっと昔から、どんな場所でもあるのです。

この本の日本での初版は1954年だから、原作はもう少し前でしょう。 舞台はアメリカの田舎町のようです。
クラスの人気者ペギーを中心とした女の子達は、貧しい移民の子ワンダ・ペトロンスキーをからかって遊んでいます。 いつも1枚きりの同じ服を着ているワンダが、自分は100枚のきもの(ドレス)を持っていると言い張るからです。

いじめられるワンダではなくて、ペギーの仲良しで心ならずもいじめに加わる、マディーの視点で書かれている所が共感を呼びます。 「これはわるいこと」「もうやめよう」と言いたいのに言えない気持ち。 自分がいじめられるようになるのではという恐れ。 そして、ワンダが学校に来なくなってからの後悔。 全て普通の子ども達に思い当たることでしょう。

この話は、単純にいじめを告発するというものではありません。
ワンダは図画のコンクールのため100枚のきものの絵を残して、ニューヨークを思わせる大きな町に去っていきます。
その絵を見た少女達の感動 ー ブログを開設したものの、書き込みそっちのけで、愚かにもアバターにハマっていた私にはよく分かりますね。

ワンダが100まいのきものを持っているというのは事実ではありません。 けれど、ワンダの心の中には、たしかに100まいのきものがあったのです。 ワンダの絵を通してクラスの女の子達もそのことを知り、その素晴らしさを認めたのです。
事実ではなくても、心の中の真実が人を感動させる。 それこそ芸術の本質ではないでしょうか。

私はこの本を多くの人たちに読んで欲しいと思っていますが、簡単に教訓や解決策を引き出すような読み方はして欲しくないのです。 
ただ淡々と読んでいつまでも心に残り、折に触れ思い出して考えるよすがとする。 そんな風であって欲しいなと考えています。
いじめの問題も決して単純ではありません。
この話でも、根底に移民に対する偏見や差別、貧困の問題があることを、さりげなく、しかし、しっかりと描いています。

結末もハッピーエンドとは言い切れません。 読む人によって受け取り方は違い、それでいいのだと思いますが、私にはマディーとペギーの感じ方の違いが気になります。
読み終えて、マディーはもっと強くなってほしい、ペギーは本当の意味で自分の過ちに気づいてほしい、そしてワンダは自分の才能を生かせるようにと願わずにはいられません。

けれど、もし今、本当にいじめを受けている人がいたなら、その人には、決して、強くなれとか才能を磨けとは言いません。
その人には心からこう言ってあげたい。
強くなくても、才能や取り柄がなくても良い、今生きていればそれでいいのだ、そのままで生きていていいのだと。

「百まいのきもの(ドレス)」 エリノア・エスティーズ作 ルイス・スロボドキン絵 石井桃子
岩波書店 岩波の子どもの本)