始祖鳥記

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「黄金旅風」を紹介した、飯島和一さんの前作。

時代は下がって、江戸は天明から文化にかけて(1785~1804)、手作りの凧で空を飛んだ男の物語。

主人公・幸吉は備前の国、児島八浜の生まれ。 
海に親しみ、伊曽保物語を聞いて異国に憧れ、優れた資質を持つ彼は、岡山の叔父の元で修行して銀払いといわれる高級表具師となり、周吾と号します。 しかし、世間的には恵まれた境遇に飽きたらず、表具の腕を生かして大凧を作り、夜な夜な橋や藏の上から河原に飛行します。
時代は太平の世ながら、幕府や藩の失政で庶民の暮らしは苦しい。 いつしか彼の飛行は御政道を批判する鵺(ぬえ)の出現と噂され、ついには役人に捕らわれ所払いの処分を受けます。

空飛ぶ表具師の噂は全国に広まり、幸吉の気持ちとは関係なく、様々な影響を与えます。

下総の国、行徳の地廻り塩問屋・巴屋伊兵衛も影響を受けた一人。
行徳は江戸四軒問屋が専売権を握る瀬戸内からの下り塩に圧迫され、人々の暮らしも苦しくなっています。 伊兵衛は、粗悪な差し塩を高品質の古積塩に加工することで行徳を再生したいのですが、原料塩の入手に苦慮しています。
その伊兵衛が船のつてを求めて上方を訪れ、大阪で知り合った平岡源太郎は幸吉の幼なじみ。 幸吉の話に動かされた源太郎は、伊兵衛と行徳のために遠州灘を越えて瀬戸内の塩を運ぶ決心をします。
所払いになった幸吉も船に乗り込み、幕府の法の盲点を突いて、「江戸打越し」で直接行徳に塩を運び込んだ彼らの行動は、他の廻船業者にも影響し、自由な取引の機運が起こります。

やがて幸吉は、引退する楫取り杢平に従って駿河府中に移り住み、木綿商・備前屋として成功を収めます。
けれど空への憧れは止みがたく、今度は甥で養子の幸助はじめ備前屋の人々、下女ウタらの助力を受け、再び完成させた大凧で駿府の空に舞うのでした。

なぜ空を飛びたいのか、きかなくても誰しも分かる気がするでしょう。
まして、為政者や富裕な商人達が、旧弊にしがみつき、自分たちの利益と保身のみを図る行き詰まった世の中にあっては。
そのあたりの描写は「いつの話?」と思う程、現代を彷彿とさせます。 けれど今の時代、伊兵衛や源太郎、駿府の町頭・仁右衛門の様な義人がどれだけいるか、心許ない気もします。 マスコミなどが取り上げないだけで、あちこちにそれなりの人はいると思いたいですが。

あと気になったのは、岡山でも駿府でも、空を飛んだ不心得者は打ち首になったと噂されたこと。
岡山で所払いになったのは本書にある通りですが、駿府で飛んだ後の幸吉の消息は分かっていません。
最後にその生涯を追った近代の研究が紹介されていますが、やはり、はっきりしたことは分かりません。 ただ、幸助以降の備前屋の子孫が駿府の地で栄えていることから見て、さほどきついお咎めはなかったのでは、という気がします。 作中で幸助が言うように、「お上には新たに何かを付け加えるほどの能はありません。 判で押したように同じお裁きをする。」ということだったのでしょう。
それなのに、打ち首になったと噂されたのはどうしてでしょう?
庶民の中にも、喝采したり、伊兵衛や源太郎のように己を顧みて奮い立つ者ばかりでなく、お上に逆らう者、そうでなくとも目立つ者は厳しく断罪されても仕方ないと考える者が少なくないのではないでしょうか? それは決して江戸の昔のことだけとは思えません。
それが世の中を息苦しくしている、大きな要因の1つと思うのですが。


「始祖鳥記」  飯嶋和一作(小学館)