ジョコンダ夫人の肖像

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先日、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」のモデルに関する新資料のニュースが流れ、前から気になっていた、この本を読んでみました。
「クローディアの秘密」の作者カニグズバーグが「モナリザ」制作の背景を、ダ・ヴィンチの徒弟サライの視点で描いたものです。

サライの本名はジャン・ジャコモ・ド・パブロティ。 作中に説明はありませんが、サライというのは小悪魔という意味のあだ名です。 その名の通り嘘つきで手癖の悪い10歳の少年サライは、なぜかダ・ヴィンチの徒弟となって一緒に暮らすようになります。

ダ・ヴィンチは当時、ミラノで大公ロドヴィコ・スフォルツァ(通称イル・モロ)の為に働いていました。 ロドヴィコはフェララ公の娘で16歳のベアトリチェ・デステを妻に迎え、祝宴の準備をダ・ヴィンチに任せます。
やがてサライはベアトリチェと親しくなり、ダ・ヴィンチも交えて身分を超えた交流が始まるのですが…。

華やかな歴史と文化、芸術に対する考え方、読みでのある物語なのですが、正直言って私はあまり楽しめませんでした。
それは、ベアトリチェの姉でマントヴァ公夫人であるイザベラ・デステの描き方の意地悪さから来ています。 イザベラ・デステは才色兼備の女性で、他では決して評判の悪い人ではありません。 私も以前、彼女のあるエピソードを読んで好感を持っていたので、ここでの描かれ方には鼻白む思いがしました。

確かにイザベラはダ・ヴィンチに自分の肖像を描いてもらうことに相当ご執心だったようです。 それを作者は厚かましい虚栄と感じたのでしょうか?
ダ・ヴィンチマントヴァ滞在中に彼女の素描を描きましたが、度重なる催促にもかかわらず、それを本格的な絵に仕上げる事はなかったようです。
作者はこの素描(ダ・ヴィンチの真作か疑問もありますが)についても意地悪な解釈をしています。
「…二重になりかけているあごを描き、肉厚の肩の線を描き、その上、容赦のない筆で、彼女の目を描き表した。喜びを宿していない目、自己愛を表している目だった。…この無言の批評が、貴婦人の肖像画熱に終止符を打つだろう…」
本の巻末にも収録されているこの肖像を掲載しておきます。私には作者の言うようには見えないのですが、どう思われますか?

実はイザベラ・デステも、表題にもあるジョコンダ夫人と並んで、「モナリザ」のモデルと考えられる一人なのです。 問題の素描こそ、その証拠としてたびたび取り上げられるもので、作者カニグズバーグが口を極めてののしったその体型は「モナリザ」に類似していると言われます。

この作品では「モナリザ」のモデルは、やはりジョコンダ夫人としていますが、彼女が登場するのはほんの最後の方だけで、取って付けたような感を免れません。

最後まで読むと、作者はイザベラ・デステの「モナリザ」モデル説を否定したくてこの作品を書いたのでは?という気がしてきました。 はじめ、ベアトリチェを褒めるためにイザベラをけなしているのかと思ったのですが、むしろイザベラを貶めるため、ことさらベアトリチェを持ち上げているような気がしてきました。 そう考えると、作者が褒めるわりにベアトリチェの魅力を強く感じない事も、サライと彼女が町で行う「塩入れのいたずら」がちっとも面白いと思えないのも、納得出来る気がします。

参考にしたくてモナリザダ・ヴィンチルネサンスの事を検索してみると、結構面白くて、はまってしまいました。
私が気に入ったイザベラ・デステのエピソードについては確認出来なかったので、ここには書きません。 彼女の評伝や主人公にした小説もあるようなので、そのうち読んでみたいと思っています。

最初に触れた新資料というのは、「モナリザ」のモデルはジョコンダ夫人、という説を補強するだけのもので、特に新事実とも言えないようです。

いろんな人が好きな事を言っているので、私も(特に根拠無く)言わせてもらえば、モデルはジョコンダ夫人かも知れないが、彼女の肖像として描いたものではないと思います。
ダ・ヴィンチが彼女をモデルに描く気になったのは、彼女が幼い頃別れた生母に似ていたからではないでしょうか。 ジョコンダ夫人をベースにイザベラ・デステや他の女性の美点を加味して描き上げた理想の母、永遠の女性、それが「モナリザ」ではないでしょうか。
そう解釈すれば、自画像説もあるようにダ・ヴィンチ自身に似ている事も、生涯手元に置いていた事も説明が付くと思いますが。


「ジョコンダ夫人の肖像」 E.L.カニグズバーグ作 松永ふみ子訳(岩波書店