獣の奏者

「守人」シリーズで売り出した作者の新作。

「守人」シリーズは異界と隣り合わせにあるアジア的な世界を舞台にしていて、西洋の物まねでない独創性の高いファンタジーで私も好きなのですが、まだ完結編を読んでいないので、こちらが先になってしまいました。

この作品の舞台はやはりアジア的な王国ですが、巨大で凶暴な蛇「闘蛇」、翼のある巨大な猛獣「王獣」を人間が兵器や権威の象徴として利用している世界です。
主人公エリンは、闘蛇の世話係であった母が闘蛇が死んだ責任を負わされて処刑された後、蜂飼いジョウンに助けられ育てられます。 
やがて母と同じ獣ノ医術師を目指して学ぶエリンは、生き物を操らず自然な姿で見ようとし、傷ついた王獣の子と心を通わすことに成功します。 しかし、王獣や闘蛇はふつうの家畜やペットとは全く異なるもので、それは彼らの獣としての本性だけでなく、王国の政治や歴史とも深い関わりのあるものでした。
そのためエリンは、真王(ヨジェ)と大公(アルハン)の力の均衡が崩れて大きく変動する、王国の争いに巻き込まれていきます。

人と生き物との関係を軸に、神聖で平和的な真王と戦いの血と穢れを引き受けて国を守る大公を巡る政治や国のあり方を絡めた、読み応えのあるファンタジーです。

けれど私は、帯にもある「ファンタジー嫌いの人にこそ読んで欲しい」というキャッチコピーには反発を感じます。
私はファンタジーが好きですが、何もファンタジーだけがすばらしいとは思っていません。
他のジャンルにもすばらしい作品は沢山あり、それぞれが出会いを大切に好きなものを読めばよいので、押しつけがましいのは嫌だなと感じました。 

そう思って読んでいると、前半の生活や自然描写、とくに養蜂や山の生活に関する所は具体的で生き生きしています。 作者の本業は文化人類学者だそうで、民俗的な細かい描写がしっかりしている所が、この人の作品の1つの魅力です。 しかし、後半の政治がらみの話は粗っぽい感じで、主人公と王国の運命があいまいなままの結末には不満が残りました。

これを子ども向きとすることには、いささかの疑問を感じます。
子ども向きだからといって、何でも予定調和のハッピーエンドにすることには本来は反対なのですが、結末を読者に委ねる場合でも、子どもの読者には、それを受け止められるような配慮が必要だろうと思います。 この作者にはそれくらいの力量はあると思うのですが。
子どもには少し難しい分、大人の読者を意識した宣伝をしているように感じるのですが、それなら最初から大人向きに書くべきではなかったでしょうか?

「日本にもこんなにすごい骨太ファンタジーが!」というのも、他のファンタジーをバカにしているようで、なんだか嫌です。
日本のファンタジーにも、子ども向け作品にも読み応えのある物は他にも沢山あります。
最近は宣伝で読ませようとするのが目立ちますが、やはり本は内容でしょ。
宣伝でシラケさせるのは止めてほしいものです。


獣の奏者 Ⅰ闘蛇編・Ⅱ王獣編」 上橋菜穂子作 (講談社