ライ麦畑でつかまえて

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よく聞くけれど内容は知らないという物があります。 これもその1つでした。 少し前に村上春樹の新訳で話題になりましたが、私は以前の訳で読みました。 
村上訳はまだ手に入りにくいというのもありますが、訳者があまり前面に出るのは好きじゃないんです。 村上さん個人の責任ではないですが。

で、読んでみると…、う~、読みにくい。 言葉遣いが下品だからというわけではないのですが(もちろん、とても上品とは言えませんが)、口語を文章にすると、とても読みにくい物ですね。 だんだん慣れてきますが。

内容がわからないのも無理はない、これといったストーリーがないのです。
高校生のホールデンが、何校目かの学校を退学になる。 クリスマス休暇になるのを待たずに、勝手に寮を抜け出して自宅のあるニューヨークに行くが、家には帰らずに町をさまよい歩く。 
その数日間のエピソ-ドを彼の独白で綴った物です。

クレージーな問題児とされているホールデンですが、今の感覚で読んでみると「いや、なかなか良い子じゃない?」と思ってしまいます。
読書好きで兄妹思い。 年長者と話す時もちゃんと敬語を使って、「別に…」とか「ウザイ」とか言わないで適当に話をしている。 独白では酷いことも言ってるけど、そういう所は誰にもあるんじゃないかな?
もちろん悪いこともしてます。 飲酒や不純異性交遊。 でも、そういうことは同級生達もしていて、それが原因で退学になった訳じゃなさそう。 他の同級生のように要領よく勉強もして、周りに合わせていくことが出来ないようです。 そういう同級生や、その延長上の大人達の偽善が我慢ならないようなのです。

大人に対して辛辣なホールデンが、妹のフィービーや亡き弟アリーを初めとする子ども達には妙に優しい。 これはホールデンの大人になりたくない気持ちを表しているように思います。

題名の「ライ麦畑でつかまえて」というのは、あのスコットランド民謡(と言っていいのかな?ロバート・バーンズという人の詩だそうですが)から来ていますが、本当はフィービーの言うように「ー会うならば」ですね。 日本では「故郷の空」という唱歌になってますが、元歌はドリフが歌っていた物に近いです。 それをホールデンは何故か「つかまえて」だと思っている。 正確には「つかまえる人」ですね。 村上訳では題名はそのままに「キャッチャー・イン・ザ・ライ」となっています。
フィービーに将来何になりたいかと尋ねられ、ホールデンライ麦畑でつかまえる人になりたいと言う。
広いライ麦畑で大勢の子ども達(だけ)が遊んでいる。 遊びに夢中になった子どもが崖から落ちそうになったらつかまえてやる、そういうものになりたいんだそうです。
これはホールデンが理想とする、大人の子どもに対する態度ではないでしょうか。 必要な時には助けてやるが、それ以外は自由にさせる。
ところが、現実の大人は正反対です。 本当に必要な時に助けてくれないくせに、どうでもいい時には細かく規則を決めて口うるさく指図する。 そんな大人に苛立っているようです。

でも、ホールデンが純粋で正しいとも言えません。 大人に対して悪意ある歪んだ見方をしている面もあります。
前の学校でかわいがってくれたアントリーニ先生のアパートを訪ね、いろいろ話をして泊めて貰います。 ところが、目を覚ますと先生が彼の頭をなでている。 ホールデンは先生が良からぬ下心を持ってけしからぬ振る舞いをしようとしたと感じて、アパートを飛び出してしまいます。
アメリカの風俗や作者の意図はわからないのですが、私にはホールデンの誤解のように思えます。
先生はホールデンが(変な意味ではなく)好きで、その才能も評価している。 彼の悩みや苦しい状況も理解できて何とかしてやりたいけど、先生としては通り一遍の忠告しかできない。 結局は彼自身が乗り越えていかねばならない問題だから。 自分で進む道を見つけて欲しいけれど、その前に身を滅ぼしてしまわないか ー もどかしいような祈るような気持ちで、先生は彼の頭をなでていたのではないでしょうか。
けれどホールデンは、先生が変態的な行動をしようとしていたと決めつけてしまいます。
それを言うなら、彼自身の自宅に侵入して妹の寝室に忍び込むという行動だって問題でしょう。 見方によっては、ロリコンでシスコンの危ない奴ということになる。 そう言われたらホールデンは心外でしょうが。
この自分はオッケーだが他人はダメという非寛容さも、若者らしいところです。

ホールデンは元々潔癖で繊細なのでしょうが、さらに弟の死で精神のバランスを崩してしまっている。
そういう特異な彼の主観を通して語られることで、むしろ普遍的な若者の悩みや矛盾が一層鮮やかに浮かび上がるようです。
それが時代や国境を越えて読み継がれている理由かも知れません。


ライ麦畑でつかまえて」 J.D.サリンジャー作 野崎孝訳(白水Uブックス)