ホームレス歌人のいた冬

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前にも書いたように、私は短歌や俳句はあまりよく分かりません。 でも毛嫌いしているわけではないので、新聞の歌壇など何気なく覗くことはあります。 そして我が家は恥ずかしながら朝日新聞なので、本書で取り上げられたホームレス歌人公田耕一氏のことは覚えていました。
時期は覚えてないけれど、2009年2月16日の社会面で取り上げられる以前に「ホームレス」と記載された投稿者がいるのを見て「おや?」と思った覚えはあり、2月16日の記事にも「ああ、あの人か!」とピンと来たのを覚えています。

いつかその名を見かけなくなった彼はどういう人だったのか? その後どうしているのか? 知りたい気持ちは多くの読者と同じで、この本も一気に読めました。

歌の出来や内容から知性と教養を感じさせる公田氏がなぜホームレスになったのか? 
その疑問を追うことは「貧困」という大テーマに迫る格好の入り口、と著者には思えたようです。
著者自身がフリーのジャーナリストとして行き詰まりを感じ、「もしかしたら、このホームレス歌人の境遇は、自分の数年後の姿かも知れない。」という思いを持っていて、他人事ではないという緊張と熱意を感じさせます。

投稿歌を手掛かりに横浜・寿町に出入りし探索を続けるうち、寿日雇労働者組合職員が電話で接触していたことが判ります。 それによると、その名は普通に読めるコウダ、キミタではなく「クデン」と名乗ったという。 それは横浜郊外の住宅地の名でもありました。 彼はやはり横浜に所縁のある人物のようです。
探索を始めて半年後、知り合った野宿者からの情報で、ようやくそれらしい人物に巡り会うのですが、結論からいうとこの人は公田耕一本人ではありませんでした。 しかし、その教養と経歴の意外性という点では、公田氏本人以上と思える人物だったのです。 本人に任されて全て実名で書いたというこの人の話は、その経緯を尊重してここには書かないことにします。 ドラマチックで意外なその経歴に興味のある方は本書でお読み下さい。

結局、ホームレス歌人公田耕一氏にはたどり着けなかったのですが、彼を追うことで社会と貧困を考えるという目的は果たされているように思います。
上記の人物を始めとする寿町周辺の人々、公田氏以外にもいたホームレス歌人俳人。 識字学校で活動した大沢敏郎のエピソード。
いろいろと考えさせられることがあります。

それでは公田耕一氏本人はどうなったのでしょう?
私は、彼は医療保護から生活保護を受けるようになり、ホームレス生活を脱してホームレス歌人公田耕一としての活動に終止符を打ったのではないか、という著者の推測に説得力を感じます。
それでは「公田氏」は歌を詠むことを辞めたのか? 
これも「短歌は今も読み続けている。もしかしたら、違うペンネームか本名で、どこかの新聞に投稿しているかもしれない。」という著書の意見に賛成できます。 
「表現のできる人は幸せだ─。」 そうであって欲しいと思います。


「ホームレス歌人のいた冬」  三山 喬(東海教育研究所)