ペスト

カミュは有名だけど、全く読んだことのない作家です。 まず思い浮かべるのは「異邦人」で、なんだか不条理な作品を書く人というイメージがありました。 お恥ずかしいことですが、カフカと混同しているところもあったかもしれない。

でも今この時期、「災禍のたびに読み直される現代の古典」という謳い文句に引かれて手に取りました。

 

内容は一言では表現しにくいです。

1940年代、フランス植民地アルジェリアの港町オランが突然襲ってきた疫病によって封鎖され、様々な立場の人々が、翻弄され、また戦おうとする、その言動と心理の記録、というところです。

次々ペストに倒れる人たちとその家族の苦しみ、あがき、絶望。 その中でできることをしようと奮闘する医師リユーや周辺の人々。 正面から戦おうとする人だけでなく、封鎖された町から逃亡しようとする人や、ペストに乗じて儲けるものも。

問題はその経過-ストーリーではなくて、具体的な行動や心理を説明する言葉です。 その一つ一つは今コロナのパンデミックにもそのまま当てはまりそうなものも多く、いちいち上げられません。

全体としては、ヒエロニムス・ボスの地獄絵図を言葉で表したような印象です。

 

多くの登場人物の中で物語の中心となるは30代の医師リユー。 また、住民ではない滞在者だが、ボランティアの保健隊を組織してペストに立ち向かおうとするタルーの存在感が大きいです。

解説ではペストを第2次大戦でフランスを占領したナチスに、保健隊をそれに抵抗したレジスタンスになぞらえているという事ですが、その例えは私にはなんだか受け入れにくかったです。 ナチスとペストは違うだろうと思うのですが。 

けれど物語の話者は「これらの保健隊を実際以上に重要視するつもりはない。」というのです。第二部のこの文に続く箇所が、この物語の根幹をなす思想で、それを説明するために様々なエピソードが繰り返し述べられるのではと感じました。

「りっぱな行為を過度に強調すれば、最後には間接的に悪の力を大いにほめたたえることになるのではないか…」

「りっぱな行為が価値をを持つのは、それがまれなことであり、悪意と無関心こそが人間の行動の原動力になることが多いからだ、…」

「この世の悪はほとんどつねに無知から来るのだ。そして善意は、もしそれが見識を備えていなければ、悪意と同じだけの害をなすかもしれない。」

「もっとも救いがたい悪徳は、すべてを知っていると思い込み、人を殺すことをも自分に許す無知である。」

 

これらの言葉は保健隊というよりレジスタンスに当てはまるのかもしれない。

以前、昔の報道写真で、フランス解放後にレジスタンスの人たちが、ナチス軍人の愛人であった女性たちを侮辱しさらし者にしている場面を見たことがあります。 彼女らの中には裏切り者といわれるような行動をした人もいたかもしれないが、生きるためやむなくという人や、真剣に愛した人がたまたま敵国人だったという人もいただろうに、と思ったものです。 私のそのような疑問に、自身もレジスタンスと深くかかわっていたカミュが、時空を超えて答えてくれたような気がしました。

 

キリスト教の神と災厄との関係も本作の1つのテーマになっています。 作者の思想を反映していそうなリユーやタルーは無神論に近いようですが、パヌルーという神父も登場しやがて保健隊に加わる。 キリスト教徒を代表するのであろう彼の思想は、非教徒である私には理解しにくかったです。

表紙にもなっているジュール=エリー・ドローネ「ローマのペスト」という絵は、パヌルーの説教にも引用される『黄金伝説』のエピソードで、「善き天使が現れ、狩猟の槍を持つ邪悪な天使(悪魔)に命令を下して家々を打つように指示した。家からは打たれた数だけの死者が出た。」という話だそうです。

この天使をなぜ善き(守護)天使と呼ぶのかわかりません。 直接手を下さなくても指示して殺戮を行っているのですから。 最後の審判の思想でも感じるけれど、キリスト教の理解できない点です。

 

あと女性の登場人物が少ないこと、その役割については物足りませんでした。 リユー医師の母親の存在が目立つくらいですが、戦う男たちを見守る母性的な人物という感じで、女性にそんな役ばかり期待されてもなあ、という気がします。

 

本書は70年ぶりの新訳だそうで、今まで見る機会がなかったのも納得できました。

パンデミックの時期と重なったのは全くの偶然」だそうですが、そこに天の配剤のようなものを感じます。

丁寧な解説、訳注だけでなく、訳者手書きのオランの地図やカミュの略年譜もあって、今までなじみがなかった者にも読みやすい配慮があり、ありがたかったです。

 

「ペスト」   アルベール・カミュ作  三野博司訳(岩波文庫