チャリオンの影

作者ロイス・マクマスター・ビジョルドのことは全く知りませんでしたが、1980年代にSFでデビューし、2000年代からはファンタジーも書き始めたようです。 その五神教シリーズの比較的新しいものを読んで興味を持ったので、第1作から読み直してみました。

 

舞台はイベリア半島をモデルにした、異世界のイブラ半島。 五神教国のチャリオン、イブラなどと、北の群島から進出してきたロクナル人の四神教国群が争う世界。 つまりイベリア半島におけるレコンキスタの歴史を背景にしています。 方位は東西南北が逆になっているようです。

主人公カザリルはチャリオンの軍人だったが裏切りにあってロクナルの奴隷にされ、ガレー船の重労働からようやく解放されて、故国のパオシア藩にたどり着きます。 かつて仕えた藩太后から任されたのは、孫にあたるイセーレ国姫の家令兼教育係。 藩太后の娘イスタは前国主の2度目の妃ですが、心を病んで、二人の子とともに実家に滞在していました。 

この王家の人々を蝕む黒い影が本作の表題ともなっているのですが、もう一つのモチーフが「死の魔術」。 祈りにより自分と相手の命をともに魔に奪わせるという呪いの魔術です。 実はこの2つには深いかかわりがあり、前々国主フォンサが「死の魔術」で殺害したロクナルの黄金将軍の呪詛が黒い影となってチャリオン王家にまとわりつき、不幸をもたらしているという事が分かってきます。

カザリル自身も、自分を陥れた相手でもあるジロナル宰相の弟ドンドの魔手からイセーレを守るため、「死の魔術」を試みます。 魔術は成功したのですが命を落とすはずのカザリルはイセーレが祈っていた姫神の守護で命を取り留め、代償として魔とドンドの魂を腫瘍のように体内に抱えこむことになります。

一方イセーレは、どうせ政略結婚しなければならないのなら、出来るだけ有効で納得できるものをと、隣国イブラの国子との結婚を望み、カザリルに仲介を託します。

国とイセーレを救うため、カザリルの奮闘が続きます。

 

この物語では五神教をキリスト教、四神教をイスラム教になぞらえているのですが、一神教であるキリスト教がなぜ五神教になるのか? キリスト教の神は父と子と精霊の三位一体の神であるとか。 この3つを分け、さらに聖母マリアの母と処女という二つの面を足して五神としたのかなと思います。 父と子は分かるのですが、精霊というのは非キリスト教徒にはよくわからないものです。 五神のうちでも父神、御子神はそのまま父と子にあたり、精霊にあたるのが庶子神なのかと思いますが、この庶子神がもう一つよくわかりません。 

五柱の家族神というと日本神話では伊邪那岐伊邪那美と天照、月読、素戔嗚を思い浮かべます。 三神が伊邪那岐伊邪那美の子といえるか疑問はありますが、伊邪那岐伊邪那美に会いに黄泉の国へ行って、その穢れを落とすために禊をしたときに三神が生まれたので、広い意味で伊邪那岐伊邪那美の子と言えると思います。 そもそも素戔嗚が大暴れしたのも、母神に会いたいというのがきっかけですし。 だから日本神話では素戔嗚が庶子神にあたるのでしょうか。 両目から生まれた天照、月読に比べて、素戔嗚が鼻から生まれたというのは滑稽な感じがすると書いていた人がいますが、素戔嗚と庶子神はちょっと重なるトリックスターの雰囲気があるような気がします。

また5という数は中国の五行思想を取り入れているようです。 U.K.ルグィンの「闇の左手」は陰陽思想を取り入れていますが、本作の神々と季節の対応は五行説のものですね。

ロクナルの四神教は、五神のうち庶子神を神と認めず魔とみなしているという事です。

 

実は作中では神々の説明はほとんどなくて、解説でざっと説明しているだけです。 この世界の神様は、人々に加護を与えるよりも試練を課す方が多いようです。 神に触れられたものはカザリルのように聖者として不思議な力を得るが、それも有難いよりは迷惑、大変なことが多そうです。

なかなか興味深い世界ですが、本作だけではすっきり納得できない点もありました。 カザリルの身分は荘候とありますが、この位置づけもよくわからなかった。 よくある侯爵、伯爵という爵位でなく、藩侯、郡候、郷司という身分制度で、藩侯が最上位で大名、公爵にあたり、後は上記の順というのは見当がつくのですが、荘候がどこに位置するのか見当がつかず(郡候と郷司の間ぐらいかと思いますが)、ずっと気持ち悪かったです。 このあたりはもう少し解説が欲しい所ですが、カザリルをヘタレとする訳者の解説はいまいち信用できない気がします。 わたしはカザリルを評価してますから、彼を伴侶に選ぶイセーレの侍女べトリスの選択は大いに支持しますね。 

 

「チャリオンの影」上・下  ロイス・マクマスター・ビジョルド 作 

              鍛治 靖子 訳 (創元推理文庫