75歳、交通誘導員 まだまだ引退できません

 前に取り上げた「交通誘導員ヨレヨレ日記」の続編。 でも別の出版社からのもので、その後の新聞連載記事に加筆修正したもののようです。 前著の反響や、コロナ禍での話もあります。

 前著では誘導員の仕事の紹介の比重が大きかったけれど、今回は人間模様が中心のよう。 それにしても誘導員の半数以上が高齢者って本当でしょうか? 日常的に見かける範囲ではそこまでと思いませんが。 地方的な特徴もあるのでしょうか。 「齢を取っても働かざるを得ない、厳しい日本の現実」というのはその通りだと思います。
 前著ではあまり気にならなかった著者のギャンブル癖というのが、ちょっとひどいと思う。 奥さんに「その齢なっても警備員をしていて、恥ずかしくないの?」と責められるというけど、いや、責めるのそこじゃないでしょ? 生活のために働くのは恥ずかしいことではない。 まあ、今はギャンブルも止めているようなので、責めようがないのかもしれませんが。
 それから私は関西人なので、「関東の人にとって、関西人の話し方は結構きついと受け取られることがある」というのは意外でした。 関西ではむしろ関東人の話し方が切り口上でキツイ(それに気取ってる)と受け取られることが多いのですが。 この話に出てくるのは気の荒い若者で、それも作業で気の立っている状態だから、です。 関西人でも気心の知れた相手には気軽にアホとかいうことはあるけど、あまり親しくない人には普通そんなに言いませんから。 関東、関西といってもいろいろな人がいるので、お互いに一般化しないように気を付けたいです。

 人間関係が中心なだけに、交通誘導員はサービス業、コミュニケーション能力が大切というのがよくわかる。 前著にあった「誰でもできる底辺の仕事」というのはちょっと違うのでは、と思います。 先日、工事中の地下街で狭くなった通路の歩行者誘導を比較的若い女性の誘導員の方がやっておられました。 「おはようございます。 ご協力ありがとうございます。」と大声で呼びかけておられて、元気をもらえる感じもしましたが、彼女のメンタルが持つか、ちょっと心配な気もしました。

  
「75歳、交通誘導員 まだまだ引退できません」  柏 耕一著(河出書房新社) 
 

日本史を暴く 戦国の怪物から幕末の闇まで

題名からして日本史の裏話でしょうが、戦国末期から江戸時代が対象のようです。
新聞連載記事をまとめたもののようで、一区切りが短くて読みやすいです。

内容的には新聞広告や帯にもある明智光秀の途方もない才能、というのは具体的な記載が無くて期待外れな感じ。 信長の遺体の行方というのも、他のどこかで読んだ気がします。 江戸時代の人々の暮らしや、疫病対策などの具体的な話は面白く感じます。
総じて大きな歴史の流れにかかわる話より、著者が発掘した古文書の細々した話が、著者も気分が乗っているのか、生き生きして興味深く感じました。

それにしても、著者の古文書発掘の熱意と努力には感心します。 歴史研究家というのは皆そういうものなのでしょうか? いまだに古書店の店先には歴史の秘密を隠した文書が眠っているとは、素人には想像もつかない。 それを見つけ出して、短い時間で価値を見極め即決で購入する、というのもすごい能力・決断力だなと思います。 著者は古文書を新聞を読むくらいの速さで読めると豪語しておられるけれど、それぐらいできなければ無理でしょうね。
本書では、まだ素材のような話が多いですが、テーマを絞ってまとまった本が出るのを期待しています。 すでに「地震の日本史」「感染症の日本史」といった著書がおありのようで、そちらも機会があれば読みたいですが、新発掘の資料を駆使した庶民目線の歴史を見たいものです。

 

「日本史を暴く」      磯田道史著(中公新書

 

 

名探偵と海の悪魔

 本作は2020年発表の作者の2作目のミステリーだそうですが、1634年バタヴィアジャカルタ)からアムステルダムに向かうオランダ東インド会社の帆船ザーンダム号が主な舞台。 主人公は一応、名探偵サミュエル(サミー)・ピップスの助手兼ボディーガードかつ友人のアレント・ヘイズという事になるんでしょう。 あいまいな言い方をするのは、普通に言うミステリーとはちょっと違うところがあるから。 一応探偵としたけれど、この時代は捕り物士と呼ばれているという設定で、サミーはその呼称を嫌って謎解き人と自称している。 大男で武張ったアレントと小柄で美男子のサミーは熊と雀とあだ名されているが、その外見や役割に反して二人の出自は正反対らしい。 実は教養もあるアレントが書く二人の冒険談は、人気の読み物になっている。
 ところが、冒頭でそんな名探偵サミーは囚人としてアムステルダムに護送するためザーンダム号に引っ立てられ、相棒のアレントは自由の身でそれに付き添っているという、いきなり訳のわからない展開。 ザーンダム号には帰任する元バタヴィア総督とその家族が乗船し、いわくありげな〈愚物〉(ザ・フォリー)という荷物も載せられる。 そんな出港準備中の港でザーンダム号の破滅の予言がなされる。 それを裏付けるように次々現れる、悪魔の印と囁き、謎の船灯、怪人物、嵐、そしてついに起こる殺人事件、と予想のつかない事態の続出。 その謎と脅威に挑戦するのはアレントだけでなく、総督夫人サラや娘のリア、牧師の弟子で解放奴隷のイサベルなど。 
 これらの人物や乗員が次々登場する始めの方では、誰もが訳ありで秘密・計画・裏の顔がありそうな印象。 誰が犯人でもおかしくないし、誰が探偵役なのかもわかりにくい感じです。 でもその曖昧、混沌とした状態は別に不快ではなくて、もっとよく知りたいと読み進めるモチベーションになります。 最後に謎解きがされると、前の小さなエピソードが伏線になっているところがあって、伏線好きの人には楽しいでしょう。 ただ、人が死に過ぎるという感はありますが。
 最後の方に別の船が出てくるのですが、殺伐としたザーンダム号に比べて、その船の乗員の静かで秩序ある様子にアレントは驚きます。 それは金の力だ、とその船の実質的な主は言います。 十分に賃金を払って、秩序を保つためにも金を使っているという事でしょう。 賃金はケチって暴力と競争、憎しみで支配するザーンダム号とは正反対だけれど、それは社会においても言えることじゃないかと思いました。

 結末は続編があってもおかしくない終わり方なのですが、現在のところ予定はないとのことです。 続きがあるとすると、ちょっとジャンルの違う話になりそうで、そのシリーズが数回続いた後で、前日譚として本作があるならわかりますが、逆は無いかなと思います。

 

「名探偵と海の悪魔」    スチュアート・タートン 作
              三角 和代 訳(文芸春秋


 

 

 

 

あるべきやうわ

 ことしの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、ちょっと期待していた明恵上人の登場は無くて残念でした。 でもEテレの「知恵泉」の北条泰時の回では、明恵上人との関りをわリと詳しく取り上げていました。
 番組では明恵が御成敗(貞永)式目に直接影響を与えたかは不明としながらも,

彼の思想「あるべきやうわ」と式目の精神に通じるところがあるとのことでした。
 「あるべきやうわ」の反対が「あるがままに」でそちらは法然親鸞などの浄土系の思想というのは、なるほどと思いました。 あまり深い宗教思想のことは分からないのですが、簡単に対比するとそういうことになるのかなと。 
 「あるがまま」というと楽なような気がするけれど、自堕落、身勝手になりやすい。「あるべきやうわ」も必要だけれど、行き過ぎると強制、弾圧になってしまう。 バランスを取ることが重要ですね。

 

「交通誘導員ヨレヨレ日記」他お仕事日記シリーズ

時々、新聞広告で見かける情けない漫画の表紙絵のお仕事日記シリーズ。 第1弾の「交通誘導員ー」から何冊か読んだ分の感想をまとめておきます。 今まで読んでいるのは他に派遣添乗員、マンション管理員、メーター検針員です。

このシリーズが当たったのは、日頃ごく当たり前に見かけるのに実際はどんな内容なのか知らない仕事の実態を、当事者がユーモアとペーソスを交えて説明してくれているところでしょう。 そういう意味では交通誘導員とメーター検針員が特に面白かった。
実際に仕事をしている年代は様々でしょうが、著者は年配の方が多い。 そこにたどり着くまでに経験を重ねていて、それがものの見方や表現力を深めているし、前日談にも面白みがあります。 文筆業を志したり経験した方が多いので文章は読みやすい。 文のトーンが同じように感じるのは編集の手が入っているのでしょうか。

第1弾の「交通誘導員ヨレヨレ日記」では非正規の雇用や仕事の実態が迫力を持って伝わってきました。 なんとなく、交通誘導員も建設会社・工事会社の人のように思っていたけど、そうじゃなかったんだ。 誘導員には交通規制をする権限がないのにも驚きました。 権限がなくても何かあったら責任を問われるのでしょうね。 今の日本社会の理不尽さを感じます。 誘導員の方を日常的に見かけるのは、工事現場のほかはスーパーの駐車場です(本書には出てきませんが)。 出入りするときに「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と挨拶してくれる方が多いけど、何も言わない人もいる。 ここで働く方たちがスーパー従業員でないのは分かっていましたが、無視されるとやはり「このスーパー愛想悪いな」と思ってしまう。 実際は従業員でないので言う必要もないのに、神経を使う仕事の中サービスで言ってくださってるのだと気づき、挨拶してもらったら、ちゃんと会釈を返しています。

第2弾「派遣添乗員ヘトヘト日記」は、添乗員付きの旅行というかそもそも団体旅行をしたことがないので、他のものより思い入れが少なかったです。 初めの方にクレームをつける年配女性のエピソードがあるけど、母娘旅行で列車内の席を離されたことに対して、この女性の気持ちもわかる気がします。 車内での久々のおしゃべりも旅の楽しみのひとつでしょうから。 安い旅行だからとびとびに離れた席しか押さえられないという事情も分かりますが、著者がこの件で得た教訓が連れと離れた席をあてがうのは文句を言いそうにない人、というのは「え~?」と思ってしまった。 「連れは離れた席にしないように気を遣う」じゃなくって? それっておとなしい人に割を食わすってことじゃないですか? 同じ料金払っているのに。 だとすると先の件も年寄りの女だから「文句は言わないだろう(言わせない)」という読みで、女性が「こんなひどい扱い」と文句を言ったのは席を離されたことだけじゃなくて、著者のそういう態度では?と感じました。 だからその後の記述も、あまり著者の立場に寄り添って読めませんでした。

「マンション管理員オロオロ日記」は夫婦での住み込み管理員の体験談。 住み込みの管理員はいなかったけれど集合住宅にいたことはあり、生活は見当がつきます。 ご夫婦だし、この方には少し仕事を楽しむゆとりもあるように感じました。 とはいえ大変な仕事に変わりありません。 住み込みだからと言って24時間勤務ではない。 仕事の時間は決まっている。 でも時間外と分かっていても、何かあったら頼りたくなるのは人情でしょう。 だから住み込み管理員というのは無くなる傾向にあるようです。 だとすると、本の宣伝文句の「24時間苦情承ります」はまずいんじゃないの? 本は読まずに広告だけを目にした住人が、自分のマンションの住み込み管理員に「ほら、ここにもこう書いてあるじゃないの!」と迫りそうな気がする。

「メーター検針員テゲテゲ日記」は電気メーター検針員の話ですが、先のものと違って東京・大阪という都会でなく鹿児島が舞台なので、お国言葉や風物、訪問先の人々とのふれあいも楽しめます。 「テゲテゲ」というのは鹿児島弁で「適当に」という意味だそうです。 検針員の方には常日頃お世話になっているはずですが、本書のように「検針でーす。」と入ってこられることはない。 集合住宅や外からメーターが見えるところに住んでいるからでしょう。 メーターを読み取るのにこんなにも苦労があるとは思ってもみませんでした。 地形などの事情は仕方ないにしても、工事をするとき後でメーターを読み取ることを考えずに機器を取り付けるなんて。 さらに驚くのは検針員にメーターの場所が分からないケースがあること。 工場や畑の防霜ファンなんてものにもあるんですね。 取り付けた以上は所在は分かりそうなものですけど、ちゃんとした記録や地図さえない。 苦労して見つけても担当者が変わると次の人に引き継がれず、また一から探さないといけない。 時間内に検針できないと社員も加わって検針し、完了まで電力会社の入力も待たせることになる。 そんな無駄を減らすようにしつこく提言した著者はうるさい奴とクビになってしまいます。 ここにも日本社会の無駄、理不尽を感じます。 せめてもの慰めは、本書で著者が念願の作家デビューが叶ったことでしょう。

日本社会の縮図のような理不尽に耐えて大変な仕事を黙々とこなす人たち。 もっと誰もがゆとりをもって生きる社会はできないのか? 考えるとちょっと暗くなってしまいますが、機会があればシリーズ他の本も読んでみたいと思っています。

 

交通誘導員ヨレヨレ日記」   柏 耕一 著
「派遣添乗員ヘトヘト日記」   梅村 達 著
「マンション管理員オロオロ日記」  南野 苑生 著
「メーター検針員テゲテゲ日記」  川島 徹 著(三五館シンシャ)

 

 

翼ある歴史 図書館島異聞

架空世界、オロンドリア帝国を舞台にしたファンタジーの続編。
前作の最後に少し触れられている王子の戦争の顛末が、前後の背景も含めて4人の女性を主人公に四巻の歴史として語られます。

巻の一 剣の歴史はアンダスヤ(ダスヤ)王子の従妹である女性軍人のタヴィスの一人称で語られる。 実は彼女や王子の母方は、首都ベインや帝国の中心部で〈谷〉と呼ばれるファイアレイスから遠く離れた東のケステニア地方の(ネイン人の血を引く)貴族出身で、彼らはそこで育ち、その地方に愛着を持っている。 タヴィスが王子の戦争に参加する理由の一つは遊牧民フェレドハイを中心とするケステニア独立のためでもある。
1人称で語られて時間が行きつ戻りつするのと、新たにケステニア語やフェレドハイの言葉が加わるので、この巻の一はかなり読みづらかった。 最初の地図と末尾の用語集を行ったり来たりしながら読むので話が頭に入ってこない。 巻末の「われらの共通の歴史より」でようやく状況を把握できる感じ。
「共通の歴史」は各巻末にあって、本編に語られていないところを補足してくれているが、必ずしも客観的な歴史ではなくて、個人的な話になって、位置づけが曖昧なところも。
巻の二は前作にも登場した〈石〉の司祭の娘ティアロンが主人公。 前巻末の「共通の歴史」とこの巻で、〈石〉の由来や内容の一部が明らかになってきます。 前作では〈石〉はモーゼの十戒の石板の様なものかと思っていたのですが、もっと複雑な、ある意味豊かなもののようです。 司祭イヴロムはオロンドリアで信仰されるアヴァレイ女神以前の神々の言葉を記したとする古代語の文しか認めないのですが、他にもオロンドリア語を含むさまざまな言語での書き込みがある。 司祭はそれらを孤児と呼んで後世の無知な民の落書きとみなすのですが、そこに興味を持つ者もいます。 前作の主人公の恩師ルンレも実はその一人でした。 ルンレが〈石〉の司祭やティアロンと関係が深いことは前作でも示されていましたが、その関係や司祭との対立の内容がここで述べられています。
王子の軍が浄福の島ヴェルヴァリンフゥを占拠し、王子の父テルカンは自死、司祭は殺害され、ティアロンは幽閉されます。 しかし、王子は奇妙な病に倒れて反乱は頓挫し、タヴィスは昏睡状態の王子を鞍鳥イロクに載せて島を脱出する。 彼らの叔父、ベイン公ヴェダが島に来て事態の収拾にあたる。  解放されたティアロンはヴェダ公爵の予想に反して〈石〉に興味を示さず島を去っていきます。
 巻の二が一番読みやすく、ティアロンが主人公たちの中で最も感情移入しやすかったです。 天涯孤独になったと思われた彼女に寄る辺があったのは救われる思いです。 アヴァレイ信仰は復権したが、〈石〉が破壊されなかったのも良かった。 人目に触れにくくなったとはいえ、いつか宗教ではなく孤児も含めて〈石〉が学問的に研究されたら面白いと思うけど、作者はそこまで書いてくれないでしょうね。
巻の三は, ケステニアに戻ったタヴィスのその後を同性の恋人であるフェレドハイの歌姫セレンの語り(をタヴィスが筆記したもの)で、巻の四は脱出後の王子とタヴィスの姉シスキの運命を過去の回想を交えて述べています。 前作でオロンドリアは西アジア北アフリカの雰囲気と書きましたが、巻の四を読んでいるとアメリカ合衆国に重なってきました。 ケステニアが西部の砂漠・放牧地帯、ベインやファイアレイスが都会的な東部というように。 ここも東西が逆転した世界かもしれません。 
巻の四で、王子が後継が約束されているのになぜ反乱を起こすのか、その背景となる彼の過酷な運命が見えてくるのですが、あまり同情する気になれませんでした。 巻の二の終盤で彼らが部下を見捨てて鞍鳥で脱出する場面ですっかり嫌いになりましたから。 タヴィスの忠実な部下ヴァルスが気の毒でなりません。 ティアロンとのやり取りを見てもヴァルスはいい人みたいですね。 結局、王子やタヴィスらは自分の都合や好みで部下たちを死に追いやり、多数の人々に犠牲を強いている。 特権には責任が伴うのに、その自覚は全くありません。 彼らが軽んじるヴェダおじ様の方が、ヴァルスら巻き込まれ組に重罰を与えず復興に従事させようとするなど、人間的にだいぶましです。

前作の反省があったのか、表題「翼ある歴史」は原題直訳です。 でも副題の「図書館島異聞」はちょっと疑問を感じます。 話としては本作が歴史の主流で、前作はその片隅の辺境の個人の物語なので、位置づけが逆に感じます。 それに図書館は本作でもあまり重きをなしていない。 前作でアヴァレイの大神官は図書館を焼き払うと豪語し、実際火がつけられるのですが、全てが灰燼に帰したわけではない。 そもそも前作からアヴァレイ神殿と〈石〉の教団の争いを、語られる言葉と文字による言葉の争いとしていますが、ピンときません。 〈石〉の教団だって人々に語りかけるし、アヴァレイ教徒も文字や書物を用いています。 〈石〉の教団によるアヴァレイ教徒弾圧の象徴とされる学校の焼き討ちも、教団が禁書とした本を用いていたからで、口伝や口承そのものを弾圧したわけではありません。 謳い文句と内容がずれているのはなんだか気持ち悪く、前作のネーミングの違和感もあって、次に同じ作者の本が出ても読むかどうかは微妙な感じです。

 

「翼ある歴史 図書館島異聞」  ソフィア・サマタ― 作
                市田 泉 訳(東京創元社


 

 

図書館島

オロンドリア帝国という架空世界が舞台のファンタジー。 そこはテルカンと称される王に支配される広大な帝国で、構成する地域はそれぞれに独自の文化や言語を持っています。 
主人公ジェヴィックは紅茶諸島という辺境の南の島生まれ。 描写される自然や風俗は一般に思われている”南の島”そのままな感じ。 この群島で使われるキデティ語には文字がありません。 しかしジェヴィックは、裕福な農園主である父がオロンドリア本土から伴った家庭教師ルンレ先生によって文字や本に触れ、魅了されていきます。 やがて父が亡くなり、後を継いだジェヴィックは憧れのオロンドリアの首都である港町ベインに旅立ちます。
ところがその船旅で難病の少女ジサヴェトと出会ったことからジェヴィックの運命は大きく変わり始めます。 交易の合間にベインの生活を楽しんでいたジェヴィックのもとにジサヴェトの幽霊が現れるようになるのです。 療養先で奇跡が起こらず死んだ彼女が、島の風習に反して火葬されなかったため迷っているのだと、ジェヴィックは考えます。 オロンドリアでは古来の女神アヴァレイ信仰で死者の霊は天使、霊と交流できる者はアヴネアニー(聖人)として崇められていました。 しかし、砂漠で見つかった〈石〉に記された神の言葉を信奉する教団が勢力を伸ばし、天使信仰は迷信どころか違法とされるようになっていたのです。
幽霊におびえるジェヴィックは精神疾患としてベインの北、浄福の島にある灰色の館に監禁されます。 一方で彼を聖人として利用しようとする女神アヴァレイの大巫女や大神官アウラム、なぜか彼らと手を結ぶ王子たちはジェヴィックを島から脱走させ、大陸の東の山岳地帯に導きます。 宗教紛争に巻き込まれ、故郷の少女の霊に安息を与えたいと悩むジェヴィック。 彼らに王の兵士の追っ手も迫ります。

オロンドリアはヨーロッパよりは西アジア北アフリカのイメージに近いようで、独特の雰囲気があります。 そこに少しなじみ難さも感じます。 またオロンドリア語やキデティ語といった独自の言語、詩作・書物・伝説などの引用が多いのも目立ちます。 「指輪物語」でもエルフ語や古代の詩や伝説の引用がありますが、「指輪ー」ではストーリーの中に引用がある感じだけど、本作は引用がストーリーを作っていく感じで、そのピースがピタッと収まらなくてデコボコしたり穴が開いたりしているように感じられるところがありました。  巻頭の地図、巻末の用語集は読み進む助けになりましたが、地図には作中出てこない地名もあって、かえって見にくく感じました。 主人公が辿る道筋を点線などで示してもらえれば良かったかもしれません。
本作を手にしたのは「図書館島」の題名と美しく想像をかき立てる表紙絵のためですが、浄福の島にある世界中の書物を集めたという王立図書館は本作のストーリーとはあまり関りがなく、なぜこの題名にしたのか疑問です。 原題はA Stranger in Olondria(オロンドリアの異邦人)で、その方が内容をよく表していると思います。

図書館島」   ソフィア・サマタ― 作
         市田 泉 訳 (東京創元社